妃の死から約7年も経過してからのことだ。ポール氏がそのメモを金庫にしまい込んでいたため、後任のジョン・スティーブンス氏(John Stevens)は就任してからそのメモの存在を知ったそうだ。
ジョン氏は「検視官が審問を発表した時、私はそのメモをすぐに王室検視官(当時はマイケル・バージェス氏、その後スコット・ベイカー判事)に渡すようにしました」と語っている。ジョン氏曰く、ダイアナ妃の死をめぐる104の疑惑をすべて徹底的に調査したそうで、このように続けた。
「私は3度にわたってヴィクターと面談し、あのメモについてさらに意見を聴取しました。ヴィクターが亡くなる1か月前、2005年の春頃に会いましたが、彼は(ダイアナ妃を)妄想症だと考えており、(メモを)あまり信用していなかったという事実に変わりはありませんでした。」
また「ミシュコンノート」は、チャールズ皇太子と離婚した2か月後の1996年10月にダイアナ妃が書いたとされる手紙の内容と同じものだった。この手紙はダイアナ妃の執事だったポール・バレル氏(Paul Burrell)によって発見され、2003年に出版された著書『A Royal Duty』に掲載されたが、ダイアナ妃は次のように綴っていた。
「思慕の10月、私は机の前に座り、誰かに抱きしめてもらい、励ましてもらいたい、毅然と振る舞えるよう強くいたいと思う。この特別な局面は私の人生で一番危険な状況です。私の夫(チャールズ皇太子)は、夫の個人秘書のティギー(Tiggy Legge-Bourke)と結婚するために私の車で“事故”を起こし、ブレーキが故障して頭に大怪我をすることを計画しているのです。」
なお英『BBC』は昨年、ジャーナリストのマーティン・バシール氏(Martin Bashir)が中絶の偽の記録を使いチャールズ皇太子とティギーの情事をダイアナ妃に信じ込ませたことが明らかになり、ティギーに損害賠償を払うことを余儀なくされている。
ジョン氏の調査は、最終的にダイアナ妃殺害の陰謀はなかったと「100%の確信を持って」結論づけた。ダイアナ妃の予言が的中したことは悲劇的な事故以外の何物でもなかったわけだが、妃の美しい笑顔とレガシーは何年経っても人々の記憶から消えることはないだろう。
画像2枚目は『The Royal Family 2017年7月17日付Instagram「To mark HRH The Duchess of Cornwall’s 70th Birthday」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 雨宮瑠亜奈)