発酵した梨を食べた野生のリス、酔って放心状態に(米)<動画あり>
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「おかしいな、遅いな」とジャニーズ事務所に直接合否を確かめに行った。そこで「才能がある子にね…まぁ帰ろうか」とやんわり追い返されたことで、ジャニーズ入りを諦めたという。その後、梅沢富美男劇団に在籍していたこともあるが1997年にお笑いに転身し、「JUMP‐2000」というコンビを組んで活動を始める。
この時期に、ナイツとコウメ太夫には思わぬ接点があった。ナイツが所属するマセキ芸能社の社長とコウメ太夫の父親が知り合いだったので、コネで同事務所に入れてもらおうと画策したのだ。しかし最初のライブでJUMP‐2000は大スベリし、「コネで出たのに、お前らムリだわ」とすぐクビになってしまう。このライブをナイツも見ていたそうだ。
その後JUMP‐2000は解散し、「貴けんだー」というコンビでソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に所属。しかしコンビはすぐに解散となり、ピン芸人として再出発することになる。そして2005年『エンタの神様』(日本テレビ系)に初出演しブレイク、SMA所属の芸人で最初に売れたのはコウメ太夫だったのだ。
ところで梅沢富美男劇団ではCDデビューの話があったほど、コウメ太夫は歌が上手いらしい。十八番は井上陽水と安全地帯のデュエット曲『夏の終りのハーモニー』だそうで、機会があればぜひ聴いてみたいものである。
画像は『平野ノラ Nora Hirano 2021年7月5日付Instagram「夏バージョンでした」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび)