今回で言えば宮迫、田村の決死の訴え、そして岡本社長のあいまいな発言を「真実」を見出していくための判断材料の「ひとつ」にするしかない。当事者たちはこれからどのようにすべきか話し合いながら時間をかけて進めることだろう。
対して当事者でない識者や一般の人々はメディアというフィルターを通して得た情報だけで、「白黒をはっきり」「真実を知りたい」と安易に答えを求め過ぎるように感じる。
「真実を求める」「善悪を明確にする」ことは永遠のテーマであり、ひとりひとりが十人十色の答えを持っているのではないだろうか。もちろんそれぞれの思いをツイートするのは自由で、様々な意見を出し合えるのはネットやSNSが発達した現代の特徴と言えるだろう。
闇組織との交際を理由に、2011年に芸能界から身を引いた同じ吉本の島田紳助氏の引退に際し、まるで未来を予知するように発言した人物がいる。令和元年7月8日、多臓器不全のため89歳で亡くなった竹村健一氏である。
竹村氏は2011年、島田氏の引退に世間の注目が集まり「一億総ジャーナリスト」と言っても過言ではない状況に以下のような発言で警鐘を鳴らした。
「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」
飽和状態となっている報道の一部分だけを切り取り、識者や一般の人々が「白黒明らかに」「イエスかノーかを明確に」と求めるのは安直すぎるのではないか? 竹村氏の言う通り、真実を知りたいと本心から願うならば、あらゆる報道のひとつひとつを隅から隅まで読み解き、そこから「探り出す」しか方法はないのかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)