一方の増田は2006年2月26日『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格したが、「母が勝手に応募した」と当時を振り返る。 母親が業務用スーパーに流れるAKB48のインディーズ1枚目シングル『桜の花びらたち』(2006年2月1日)を聴いて気に入り、調べていると秋元康がグループメンバーを募集していることを知る。「ゆか! なんか秋元さんやってんで~! 送っとくわ~」と締め切りギリギリに応募したそうだ。
子どもの頃から歌が好きで漠然と歌手になりたいと思っていた増田は、カラオケ大会やNHKジュニアのど自慢などコンテストで歌っていたが、ダンスはAKB48に入って本格的に覚えた。そんな彼女がAKB48時代で一番辛かったのは「1日3回公演の合間にお台場冒険王でミニライブ」という過酷スケジュールだった。特に団体行動が苦手で「いつもiPodを聴いていた」彼女には苦痛だったのだろう。
光宗も公演の前座で出た時に増田を見かけたが「基本的に1人でしたね」と思い出せば、増田は当時のことを「スタッフさんからも態度が悪いとか散々言われてクサってましたよ」と明かす。AKB48では指原莉乃や高橋みなみのようにメンバーがプロデューサーの秋元康と頻繁に連絡をとるイメージがあるが、増田によると「秋元さんはけっこう手のかかるメンバーが好きだった」という。彼女は「やることだけやって帰るタイプだった」のである。
今度は光宗が「秋元さんと話したことがない」とカミングアウトして驚かせた。彼女がAKBに入った頃は“秋元康のごり押し”みたいに言われていたが、光宗自身は「記憶ではオーディションの時に目が合った以外は話したこともない」というから全く実感しなかったようだ。
また「AKBあるある?」について問われた増田は、握手会の裏側を「大部屋に布団100枚」と明かす。連日のハードスケジュールからゆっくり寝る時間もなく握手会の裏側では「そのまま雑魚寝、ケータリングも布団のところで食べて、保健の先生とかいた…」と聞いて西川は「浪人生の世界」と評した。
西川貴教は秋葉原AKB48劇場のステージに立った数少ない男性芸能人の1人だ。彼は劇場の裏側や楽屋まで見ている。光宗が「カオスな状態」と表現する楽屋について、彼は「“AKB”というから良いけど、旅芸人の小屋の楽屋みたい」とたとえた。その楽屋にさえ入れないのがアンダー(代役)で、西川が狭い通路に寄り合う彼女たちに「大丈夫?」と声をかけると「気にしないで下さい、私たちは空気だと思ってください」と返ってきた。その姿に「頑張れよ」と心の中で声援を送ったという。
AKBグループでは数百人に及ぶメンバーがいるなか、テレビに出たりCDで歌えるメンバーは限られている。西川はアンダーで頑張るメンバーを知って「そうじゃないんだけどなという中立的な立場で見る」ようになったそうだ。光宗が13期生になった時の気持ちを「AKBで自分はどういうポジションなのか? どうしたら目立てるか? 皆そうだと思います」と振り返ると、西川は「イス取りゲームみたいなもの」とうなずく。
彼は「今でも実はいずりなや高橋、島田のポジションは空いてる」とOGの高橋みなみや、4月13日にタイ・バンコクを拠点とするBNK48への移籍を発表した伊豆田莉奈、18日に9月をめどに卒業する意思を明かした島田晴香などを挙げた。彼女たちが担ってきたキャラクターとしてのポストは空くのだが「皆、やっぱり“可愛い”といわれる席に行きたいけど、そこは埋まっているのよ!」と現実は厳しいことを説くのだった。
生配信を終えて『西川貴教(TMR15)ツイッター』では「ご視聴ありがとうございました! 血で血を洗う元アシスタントと現アシスタントの戦いは思わぬ方向へ…次回もお楽しみに!」とつぶやいたが、“今カノ VS 元カノ”の2人がこれほどAKB48時代の話に花を咲かせるとは意外だった。「クリスマス頃には元カノが恋しくなるはず」とまた呼んでもらうことを願う増田有華。9月の『イナズマロック フェス 2017』へもアピールしており、もし光宗薫とコラボが実現すれば次はその話題で盛り上がりそうだ。
出典:https://www.instagram.com/masuyuka_official
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)