テレビコマーシャルではネルソン・マンデラ氏の思い出が流され、新聞には企業がその死を悼む広告が一面を飾る現在の南アフリカ。故マンデラ氏の人柄がなせる技だろうか、マンデラ氏を「父」と呼ぶ南アフリカの現国防相が、その思い出を語った。
南アフリカの国防相はノシヴィエ・マピサ・ンカクウァ(Nosiviwe Mapisa-Nqakula、以下:ンカクウァ)という女性である。彼女は現在、10日に行われるネルソン・マンデラ氏追悼式のため1万1000人の兵を配置するなどの準備に余念がない。その彼女もマンデラ氏の思い出があるという。
1992年、マンデラ氏がロベン島から出所して2年も経たない頃の話である。マンデラ氏はヨハネスブルグのANCオフィスにンカクウァがいないことに気づいた。ンカクウァはそのとき妊娠中で体調を壊していたのだった。マンデラ氏がANC婦人同盟事務局長にンカクウァが不在の理由を尋ねたところ、事務局長がマンデラ氏をンカクウァの住むアパートへ連れて行った。
驚いたのはンカクウァだ。予想もしないマンデラ氏の訪問に、彼女はなんと破水したのである。するとマンデラ氏は破水したンカクウァを自身の車に乗せ、気遣いながら病院へと連れて行った。そのときマンデラ氏は運転手に「彼女は私の娘だ。気をつけて(運転して)くれ」と告げたという。
ンカクウァは1992年8月30日に無事男児を出産。当時、一職員であった自分にマンデラ氏があふれ出るほどの愛情を注いでくれたことが今でも忘れられない。ンカクウァは「タタ(「父」の意味)はANCに特別な思い入れがある。常に我々といる時間を大切にし、かつ国内外を見ながら活動をしていた」と語る。
そんなマンデラ氏の目的は「国を一つにすること」にあったという。政治組織同士がぶつかりあう中でも、南ア共産党党首クリス・ハニが演説中に銃殺されたときも、マンデラ氏は怒りをあらわにせず「国のために動く」ことを周囲に説得していた。
国のことを誰よりも思い、同時にひとりひとりにも気を配っていたマンデラ氏。ンカクウァが1999年に自宅外で襲われたときも、誰よりも早く駆けつけたのがマンデラ氏だったそうだ。オバマ米大統領をはじめ91か国(12月9日現在)のトップが追悼式に駆けつけるというのも、彼の優れたリーダーシップと人柄が表れているのだろう。
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(TechinsightJapan編集部 FLYNN)