「ア~メ~マ~」「アヘアへ」「かい~の」などのギャグで知られ、マラソンランナーとしても活躍したお笑いタレントの間寛平(72)。このたび63年続く吉本新喜劇で初のポストとなるGM(ゼネラルマネジャー)に就任したが、その寛平に吉本新喜劇の魅力や課題、現在109名いる座員のなかでも注目の座員、GMとしての意気込みなどをテックインサイトが聞いた。寛平は吉本新喜劇を全国的な存在にしていきたいという。
間寛平は、1970年に吉本新喜劇(以下、新喜劇)に入団し研究生になると、1974年には24歳の若さで座長に就任。その類まれなる才能で人気者になるが、1989年に退団して東京へ進出、全国的に知られるようになった。寛平の妻はもともと新喜劇の座員であり、公私ともに新喜劇が寛平の人生を作りあげてきたと言えるだろう。それでも今回新設したGMへの就任を岡本昭彦社長からオファーされたときには戸惑いもあったようだ。
■「GMでやらなあかん」決意まで約8か月
―今回GMに就任した経緯を教えてください。
間寛平:僕が『芸能生活50周年+1 記念ツアー』を去年の6月に東京からスタートしたときに社長が観に来ていて、「昔はこういう新喜劇だったな…」と社長が思い出して、今の若い子らに昔の僕らがやっていたような新喜劇を「教えてくれないか?」と言われまして。僕も新喜劇を33年離れているから「ちょっと無理かな?」と思ったんですけど、うちの嫁から「ここらで恩返しするつもりで頑張ってみたら?」と言われたんですよ。そこから毎日新喜劇のことが気になって、中継を観たり、いろいろやっていたんですけど「これ違うな」「これはあかん」と。それからほんまに「よし! GMでやらなあかん」となったのは会見(今年2月9日に開催したGM就任記者会見)やってからかな。社長から「みんなを育ててくれ」って言われましたけけど、「僕、まだ育ってないから」言うて、そっからですわ。
―するとGMとしての任務は若手を育てていくということですか?
寛平:去年の6月からずっとみてるんですけど、新喜劇の座員たちは危機感がないんですよね。漫才だったら『M-1』で優勝したいから予選から頑張ってやるじゃないですか。新喜劇は予選とか何もないからね。台本に名前が載って役ちょっともらって、NGK(なんばグランド花月)に出られる。それで満足しているように見えて…。あのNGKってすごいところなんですよ。漫才やってる若手なら「出られる!」って興奮して有り難いという気持ちが湧く舞台なんだけど、新喜劇の座員にはそういうのがないんですよ。
―先日の就任記者会見では、総選挙をして上位30名が舞台に上がれる公演を今年10月10日に開催すると発表なさいましたよね。危機感と言いますか、競争の意識が芽生えそうですね。
寛平:10月10日というのは、僕が新喜劇に入ったのが昭和45年の10月10日なんですよ。それでいつも『寛平まつり』をやっていたんです。それをやめて『新喜劇まつり』にしようということです。AKB48(の総選挙)みたいなもんで人気がある者が出られますよね。全然NGKやテレビに出ていなくてもYouTubeをやっている子もいますから、その子らが出てくるかもわからんしね。
■寛平が注目している座員は…?
―若手にとってはひとつのチャンスになりそうですね。なかでも寛平さんが注目している座員はどなたですか?