9月9日から10日にかけて放送された『FNS27時間テレビ にほんのれきし』は、歴史をテーマにユーモアをまじえつつ学ぶ企画となった。10日には江戸時代の“大地震と富士山大噴火と人々と”を取り上げたが、そのなかで登場した“ひらめき奉行”こと伊奈忠順(いな ただのぶ)のエピソードには村上信五(関ジャニ∞)やゲストの堤真一も驚きを隠せなかった。
1707年10月28日(宝永4年)の宝永大地震は南海トラフ地震とされるもので甚大な被害となった。さらにその年の12月に富士山が大噴火して、江戸でも火山灰が2~3cm積もった。今の横浜で16cm、風向きの関係で千葉では4cm、そして富士山の麓にある静岡県小山町(当時の御厨)では2m以上積もったという。五代将軍・徳川綱吉は代々土木関係に従事してきた伊奈忠順を砂除川浚(すなよけかわざらい)奉行として小田原へ向かわせる。
幕府は酒匂川が氾濫して東海道に影響が出ないように川浚いを最優先した。そのため忠順も、村人たちには女童も一緒になって自分たちで田畑の灰を除くように指示する。人々は奉行が来たのに「幕府は何もしてくれないのか」と肩を落とすのだった。忠順は人足を雇い酒匂川の川浚いを進めていたが、必要な木材が届かず不足し始めた。幕府が被災地復興のために全国の大名から特別に徴収した復興費用は50万両(約300億円)に上ったが、実は江戸城補修や朝鮮からの使者を接待する準備に当てており、忠順に渡ったのは当初予算の10分の1である6万両のみだった。少ない資材で作業を続けたため結果的に手抜き工事のような仕上がりとなりついに堤防が決壊する。
さらには幕府から「お救夫食米」(おすくいふじきまい)を打ち切ると達しがあり、忠順も頭を抱えていた。そんな時に御厨(みくりや)の村人たちが大勢訪ねてきた。彼らは土下座して「何もかも灰と砂に埋もれ、このままでは全員飢え死にします」「お奉行様ご自身の目で見て頂きとうございます」と訴えた。その言葉から現地に足を運んだ忠順は、雨をしのげる一軒に大人数が肩を寄せ合い僅かな食べられるものを分け与えながら暮らす光景を目の当たりにする。彼はその事態をお上に知らせることができるのは自分だけだと勘定奉行と大老に会った。「身の丈を超えるほど灰が積もり作物は育たず、一日一日を生き抜くのが精いっぱい。そんなところが59か所もある」と窮状を話し「お救い金を頂けないか」と訴えるが「資金の割り当ては変えられない」「無い袖は振れぬ」と冷たく応じられた。
なんとかせねばと悩む忠順は「そうか」とひらめいた。酒匂川の人足に御厨の村人を雇って賃金を渡すのだ。村人たちも喜んで働いたがいつまでも賃金を払える資金はなく、早く田畑を使って作物を育てられるようにせねばならない。積もった灰を掘り起こし「もとの土が見えた」と喜んだのも束の間、「でもその灰が他のところを埋めている」と話す村人たちを見ながら忠順は「天地返し」をひらめいた。灰を掘って出てきた肥えたもとの土をさらに掘り、そこに灰を入れて上から土を被せる。それを繰り返すことで最小の労力によって土を元に戻すことができるのだ。