デジャー・ホールさん(26歳)が薬物に手を出したのは、17歳の時に鎮痛剤を飲んだことがきっかけだった。当時、家族間で問題があったホールさんは、友人らとパーティをしていた時にストレス緩和のためピルに初めて手を出した。それ以降、坂を転がり落ちるようにハマっていったという。
処方薬に依存するようになり、一日に6種類もの薬を乱用するようになったホールさんだが、20歳の時に依存を克服したいと思いメタドン療法のクリニックへ参加し始めた。しかし、親しかった友人の母親が亡くなるという悲劇にショックを受け3日間欠席してしまったことで、クリニックから参加を拒否されてしまった。
なんとか自分で克服できるだろうという考えもあったホールさんだが、禁断症状は激しく8日後には体力が消耗し、体を十分に動かすこともできず嘔吐が続くようになった。そんな時、知り合いの男性からヘロインをすすめられてしまう。一度摂取するとまたしても虜になってしまい、しまいには覚醒剤にも手を出すようになった。
ホールさんは「あの頃の私は、まるでモンスターでした。人を傷つけることも平気で全てにお構いなしでした。ヘロインを注射するようになってからは、自分が死のうが生きようがどうでもよくなっていたのです」と英紙『Daily Mail』に語っている。
自分で摂取するだけでなくそれらを売り始めたホールさんは、2012年の4月から12月までヘロインと覚醒剤を乱用し体重が43kgまで落ちた。今から思えば自殺行為に等しかったが、当時はそんな自分を「セクシーで美しい」とさえ思っていたという。
そんなホールさんにターニングポイントが訪れたのは同年の12月のことだった。誕生日だった祖父を訪れたホールさんは、どれほど祖父を愛しているかということとお祝いの言葉を伝えた。しかし車椅子に乗った祖父は、ホールさんの顔を見て「お前は私を傷つけているよ」と言い放ったそうだ。
ホールさんは、薬物に溺れる前は祖父のもとをよく訪れていた。ところが薬に夢中になるあまり、大切な家族とも疎遠になり祖父にもなかなか会いに行くことをしなくなってしまった。会わなくなった間に、「可愛い孫が“モンスター”に変身してしまったことに祖父は気付いたのだ」とホールさんは悟り、トイレに籠り泣いた。
その数時間後、危険薬物所持及び薬物使用の罪でホールさんは逮捕された。「大切な祖父や家族のためにも自分を変えなければならない」と思ったホールさんは、弱っていく祖父に「必ず薬物依存を克服する」と電話で誓ったそうだ。しかしその12月の再会から2週間後、祖父は亡くなった。
現在、ホールさんは祖父に誓った通り薬物を断ち、1児の母親となった。一時期は疎遠になった家族との距離も近くなり、愛する娘のために薬は一切手にしておらず、そうした悪い仲間ともすっかり手を切ったと話している。
薬物依存だった頃と4年後の自分を「ビフォー・アフター」でFacebookに投稿したホールさんは、顔色も良く健康そうで美しい。現在は、自分と似たような状況で苦しむ人たちにアドバイスをしているという。
ホールさんは「私のことを多くの人に知ってもらえて光栄です。薬物依存を克服したいと思う人は絶対に諦めないでほしい。世間にはいろんな相談窓口があります。依存症患者にとって家族のサポートは必要不可欠です。簡単に薬が手に入る状況に置かないことだけでなく、家族はどんな状況でも依存症患者を愛しているということを伝えることもまた大切なのです」と語っている。
出典:http://www.dailymail.co.uk
(TechinsightJapan編集部 エリス鈴子)