お笑いコンビの爆笑問題が自身のラジオ番組で、SMAPが1月18日テレビ番組に生出演し解散騒動について謝罪したことに言及した。そこで、自分たちが25年ほど前に大手芸能事務所を飛び出した当時の心境について語っている。当時の爆笑問題とSMAPとは立場も状況も全く違うのだが、芸能人が独立問題を巡って会社側と折衝・交渉を行うことがどれほど困難を極めるか、経験者としての立場から語った。
爆笑問題が所属していた太田プロダクションから独立したのは、コンビ結成から2年後の1990年。「自分のやりたい仕事がしたい」「漫才が面白ければ、仕事は無くならないだろう」などと考え、後先考えずに飛び出したのは2人が20代半ばの頃だ。しかし一方的な爆笑問題の行動は太田プロの怒りを買い、それから約3年間“表舞台から姿を消すこととなった”と伝えられている。
19日深夜のラジオ番組『JUNK 爆笑問題カーボーイ』によると、事実上芸能界を干された形になったことについては「自分たちが全面的に悪かった」と2人に異論は無い。実年齢は熟年世代の50歳、芸人としてもベテランの部類に入り、所属するタイタンの社長を務める太田光の妻を通すと、当時の太田プロが「いや、ちょっと待ってくれ」と独立を認めてくれなかった事情も今なら十分に理解できるのだという。
だからと言って国民的アイドルのSMAPと人気が出たばかりの漫才コンビの独立問題を、爆笑問題が同等に扱っているわけではない。ただ「表現がしたい」と芸能界に飛び込んでくる人は、会社側とビジネス的な交渉事が不得意なタイプが多いと太田は語る。「事務所とどうこうってやってる時の、アレほど嫌なものはない」「それをやってる時の憂鬱さったらないから」と、今思い出しても重苦しい気持ちになってしまうようだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)