ゆずの2人が、音楽番組『関ジャム 完全燃SHOW』の中で小田和正とコラボした時に挫折感を味わったことを明かした。当時の彼らはヒット曲を連発する人気グループとなっていたが、その時の感覚を「山の頂上にいるつもりが、霧が晴れたら小田さんという大きな山があった」と表している。
ゆずの北川悠仁と岩沢厚治が5月17日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)にmiwaとともにゲスト出演した。MCの関ジャニ∞には楽曲『T.W.L』を提供した間柄で、この日も『夏色』や『T.W.L』を生コラボして楽しんだ。
北川悠仁は『T.W.L』を書いた時に、自分たちのアルバムに入れるよりも誰かに歌ってもらった方が良さそうだと思い、頭に浮かんだのが“関ジャニ∞”だったという。関ジャニ∞が16枚目のシングル『T.W.L/イエローパンジーストリート』をリリースしたのは2011年4月。ゆずはその年の1月19日に新曲『Hey和』を出している。
路上ライブから人気に火がついたゆずは、1998年2月21日にミニアルバム『ゆずマン』でメジャーデビューを果たし、やがて『栄光の架橋』(2004年)、『超特急/陽はまた昇る』(2005年)などの大ヒットで日本を代表するフォークデュオとなった。その頃、彼らにベテランミュージシャンの小田和正と楽曲を共作する話が届く。小田和正とゆずによるスペシャルユニット“ゆずおだ”の『クリスマスの約束』は2006年11月29日リリースされた。
北川はその時のことを振り返る。納得のいくアルバムも出して自信もあった彼らは「小田さんか…じゃあ、やってみよう」という軽い気持ちでコラボした。ところが、小田和正のパフォーマンスのクオリティーや、音楽に向き合う姿勢に驚く。同じミュージシャンなのにその差は大きく、「小田和正という山に思えた」ほどだ。ショックを受けた北川は精神的に辛い日々を送る。近所に矢沢永吉ファンが集うバーがあり、それまでは怖いイメージがあったが通ってスコッチを飲むようになった。
岩沢厚治も「もっと丁寧に歌わないといけない」とそれまではOKだったテイクでも「これは、小田さんが聴いたらダメだな」とどこかで小田和正が見ているように感じるほど影響された。北川に至ってはついに何をして良いかも分からなくなり、「地元のヤマハピアノ教室に飛び込んだ」という。幸いなことに、先生は彼の事に気づかず「何か音楽はやってるの?」「はい、少しやっています」というスタンスで始められた。3回目で「あなた、ゆずなんだってね?」と言われたが、そのレッスンのおかげで「また、いろいろな曲が出来るようになった」そうだ。
そんな経験から、ゆずの2人は「自分たちにもまだやれる事があると気づかせてくれた小田さんには感謝しかない」と語った。
約4年が経ち、33枚目のシングル『Hey和』を出した約2か月後に、東日本大震災が発生。『栄光の架橋』や『Hey和』といった彼らの歌が被災地をはじめ、震災に心を痛めた多くの人々を救うこととなる。
※画像は『twitter.com/yuzu_official』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)