ビートたけしがお笑い芸人としてスタートした浅草の街をTOKIOの5人と訪れた。たけしがエレベーターボーイをしていた話や、4畳ほどの窓の無い物置のような部屋で寝泊りした事実を知って驚くTOKIO。中でも“熱湯風呂”が生まれたきっかけが語られると、「それが原点なんだ!」と感激していた。
ビートたけしは、1972年に浅草のフランス座(現、東洋館)でエレベーターボーイをしながら芸人見習いとなった。10月31日の『たけしのニッポンのミカタ!2時間SP』(テレビ東京系)では、ビートたけしが5人そろったTOKIOと15年ぶりに共演。東京をロケして回る中で、たけしがフランス座を案内する一幕が見られた。
フランス座は踊り子たちがストリップショーを行う合間に芸人たちが登場する。渥美清、萩本欽一といった大物もここからスタートした。まだ芸人見習いだったビートたけしは、エレベーターボーイをしつつコントの時間が来ると売店のおばさんが呼びに来て交代してくれたという。他にもステージの脇で小道具や舞台進行係をやったそうだ。
たけしはステージと観客席を懐かしそうに眺めると、「ここに張り出し舞台があったんだ」といわゆる花道の位置を説明しながら「踊り子たちがそこで裸になった後に、ステージに戻り、準備されたお風呂に入って“入浴ショー”をやるんだ」と当時を振り返る。
彼はその頃、舞台横で進行係をこなしながらお風呂のお湯を入れる役目も受け持ったという。「時間がなくて熱湯を入れちゃって、踊り子が入って“あっつーっ!”と熱がった。それが熱湯風呂につながるんだよね」と語ると、TOKIOメンバーが「それが熱湯風呂の原点だ!」と興奮気味に繰り返した。
やがて1972年にツービートを結成して、漫才ブームを牽引。1983年1月9日から、メインMCをビートたけしが務める『スーパーJOCKEY』(1999年3月28日に終了)がスタートすると、『THEガンバルマン』の名物コーナー“熱湯風呂”が1989年ごろには“熱湯コマーシャル”へと発展する。
1985年に結成したダチョウ倶楽部は同番組で“熱湯風呂”を経験して、その道のエキスパートとなっていく。その原点がフランス座の“入浴ショー”というのだからおもしろい。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)