ファッションモデルのアンミカ(42)は四畳半で家族7人が暮らすという幼少の極貧時代を経て、20歳でパリコレモデル、そして2012年7月にはアメリカ人でイベント会社の社長と結婚。「想像することで、夢を実現してきた」と微笑む彼女のシンデレラストーリーの陰には、夢に向かってどんな状況でも決して諦めない強い心があった。
彼女がモデルを目指すきっかけとなったのは、美容部員として働いていた母親からの勧めであった。7月17日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演したアンミカによると現在身長は171センチ弱だが、中学3年生の頃は今より10センチ以上低かったという。それでも「母が逝く前にモデルになった―という報告がしたい」と、大阪のモデル事務所20社ほどに履歴書を送るもすべて不合格であった。
いくら返却されようとあるモデル事務所には5~6通履歴書を送り続け、“写真うつりが悪いので、ぜひ実際に見て欲しい”、“御社にとって得だと思います”と強烈なアピールを続けたアンミカ。そんなに言うなら―とそのモデル事務所側は彼女と会ってくれたが、「実物もちょっと…」と断られたのだ。だがその時、“近くに来たら遊びに来ていいよ”という社交辞令を真に受けたアンミカは、毎週火曜日に自転車で8駅先のモデル事務所まで通ったらしい。さすがに彼女の熱意に負けたのか、そのモデル事務所でレッスンを受けられることになったそうだ。
レッスンには真面目に通ったが、いつまでもバイトを続ける自称モデル状態のまま高校を卒業。それでもアンミカは一流モデルの夢は捨てず、単身パリに渡る。それは、その頃世界のファッション業界ではアジア人モデルの人気が高く、ショーモデルとしては身長が低かったアンミカだが、持ち前のチャレンジ精神でパリコレのオーディションを受けようと考えたからだ。門前払いがほとんどの中、3社だけが面接してくれた。そこで彼女は厳しい言葉で断られてしまう。
「あなたが着ている服は、自分を良く見せていない」。つまり自分のマネキンとしての体型を理解して、洋服をより良く見せて、着ている本人もカッコ良く見えるのがモデル。そんなセンスを持ち合わせていないモデルは要らない―というのが、断られた理由らしい。
初めてのパリコレへの挑戦が全敗となったアンミカは帰国後、好き嫌いで洋服を選ぶのではなく“はたから見て自分に似合うファッション”を選べる目を養うため、猛勉強したという。その後京都のディスコで行われたファッションショーで声をかけられ、イギリスの有名ファッション誌の表紙を飾ったことを契機に、20歳でパリコレクションへ初参加となった。
幼い頃から貧しく、“何かを守りたい”、“これは手放したくない”という思いは生活の中には無かったと語るアンミカ。失うものが無かったからこそ、チャンスをつかむためにいつでも違う世界に飛び込んでいけたという。だが幼い頃から生活が苦しかった上に自宅が2度の火事に見舞われ、母親は長い闘病生活の後に彼女が高校生の時に他界。相当な苦労や辛い思いを子ども時代に重ねていたと想像されるが、彼女は「貧乏だったけど楽しかった」と微笑む。そのバイタリティーあふれる生き方こそ、アンミカがシンデレラストーリーを引き寄せた秘訣なのだろう。
※画像はアンミカのオフィシャルブログ『Jewel of Lotus』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 みやび)