オードリーの若林正恭が、若手時代のネタ帳の中身をラジオ番組で公開した。その中には“ズレ漫才”誕生の瞬間から“25歳の若林の将来設計”にいたるまで、様々なことが書き記されていたのだ。
5月10日深夜放送のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)において、若林正恭が“若手時代の思い出”を語った。ある番組の企画で「今までのネタ帳を提出してほしい」との依頼を受けた若林は、実家からネタ帳を取ってきたそうだ。この日の放送で、若林はそのネタ帳を披露して相方の春日俊彰と当時のことを振り返った。
2000年に「ナイスミドル」のコンビ名で活動を開始したオードリーだが、その時のネタ帳には漫才をする際の「信念」が書かれていたのだという。それは「板について(舞台に上がって)5秒で度肝を抜いて、15秒経つまでに(観客の心を)つかんで、3分経つまでに3回大爆笑を起こす」というものだったようで、若林は読み上げた後に笑いながら「(3回大爆笑は)少ないよ!」と“昔の自分”にツッコミを入れた。この「信念」の次の行に「ともあれ、俺に(自分が)理想とする漫才のビジョンがない」とも記されていたと、若林は語った。
また、若林のネタ帳の中に『土』『種』『茎』『花』というタイトルがついた“4部作”が存在していたことも判明。若林は『茎』の内容から「2005年10月に初めて“ズレ漫才”をやってる」ことが分かったと話し、「これで(オードリーの)年表がはっきりしたね」と喜びを見せた。その後『花』へとタイトルが変わった際に「『ぐるぐるナインティナイン』出てました」と語る若林に、春日も「おー、(タイトル通りに花が)咲いたじゃない」とうれしそうに感想を述べていた。
さらに『土』(2003~2004年頃のネタ帳)では、25歳の若林の「将来やりたいこと」が書かれていた。その一覧は以下のようになっている。
・帯のラジオパーソナリティ、深夜のラジオ番組
・モンゴルやインドなどに行くドキュメンタリー番組に出演
・本を出版する
・ネタで人前に出続ける、ライブに出続ける
・MC(いとうせいこうさん的な)
・春ボーイ(春日の愛称)と漫才をやり続ける
これらの内容を若林は笑いながら読み上げたが、一方の春日も最後の内容を「当時の私は“春ボーイ”(って呼ばれてた)か」と懐かしんだ。若林のネタ帳は、“ズレ漫才”誕生の日付から“10年前の将来設計”まで、オードリーのルーツに数多く触れられる興味深いものであった。
(TechinsightJapan編集部 TORA)