俳優、タレントとして大人気の大泉洋が、映画『青天の霹靂』の舞台あいさつで監督の劇団ひとりと福岡を訪れた。その際に2人は地域のテレビ番組に出演しており、大泉洋は12歳にしてピークを迎えたという激動の半生を明かしている。
映画『青天の霹靂』の劇団ひとり監督と主演の大泉洋、柴咲コウ。イベントやテレビ番組で3人を見ていると、まるでお笑いトリオかのような面白さだ。5月25日に放送されたFBS福岡放送のバラエティ番組『ナイトシャッフル』に、「全国“ふたり”キャンペーン」中の大泉洋と劇団ひとりが出演した。
初監督となる劇団ひとりは、ほとんど面識が無かった大泉洋を主演に抜擢した理由について「シリアスとコメディと両方を上手に演じ分けられる。マジックが上手にできそうなイメージ」があったからだと語る。
番組パーソナリティから「マジックは本当にやってるの?」と率直に質問された大泉は、「やってますよ! カット割りとかしてませんよ」と主張する。すると劇団ひとりが、「別の人がやってるのかと? よく見破りましたね!」とボケて笑わせた。
お笑いタレントの劇団ひとりと“お笑い”のコンビネーションもばっちりな大泉洋だが、最盛期の面白さはそんなものではなかったらしいのだ。
「12歳が人生で最大のモテ期だった」という大泉。小学生時代は「どこのトイレに行っても必ず『“よう”と“○○子”』といろいろな女子の名前とともに、相合傘が描かれていた」と証言する。小学生の時は面白ければモテたという大泉は、「めっちゃ、面白かったですよ」と当時の自分を自信満々に語る。「今よりも、小6の方が面白かった。小6で『水曜どうでしょう』はできたと思う」とまで言い切った。
ところが「僕のモテ期はここで終わった」と12歳をピークに彼の人生は急降下して20歳でどん底となる。周囲の女子たちが成長とともに「人間の内面を見始める年頃になって、モテ期は終わった」と大泉は原因を分析した。
20歳となり、本人曰く「最低の成人式」を迎えた。しかし、二浪して入った大学の演劇研究会でNACSを結成。演劇ユニットTEAM NACSの活躍とともに、大泉洋の人生もどん底からV字回復へと向かうのだ。
大学3年生の時には、北海道テレビ放送のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』がスタート。大泉はそれをきっかけに中央のバラエティ番組にも出るようになり、人気を得る。
以前、『ナイトシャッフル』に出演した北海道出身のお笑いコンビ・タカアンドトシが「地元でのブレイクに時間がかかった」理由を問われて、「北海道には大泉洋という怪物がいたからだ」と答えている。地元の人気に支えられているのが、大泉の強さだろう。
2009年にフジテレビ・ドラマプロデューサーの中島久美子さんと結婚。2011年5月30日に第一子となる長女が誕生した。大泉洋は「38歳で娘が生まれて、計り知れない幸せを感じている」と語っており、あの12歳のモテ期を超える人生のピークを迎えているようだ。
※画像は『柴咲コウ ko_shibasaki Instagram』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)