笑福亭鶴瓶が、ビートたけしに初めて会った当時を振り返った。大の“たけしファン”という劇団ひとりもこの鶴瓶の話に興味深く耳を傾けていた。
5月18日の夜に放送されたラジオ番組『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』に、劇団ひとりがゲストとして登場した。ひとりが初監督を務める映画『青天の霹靂』の舞台となる昭和48年(1973年)という時代に、笑福亭鶴瓶が興味を示した。
鶴瓶はその前年(1972年)に「この世界に入った」と語り、同年に大阪の劇場「新花月」で初舞台を踏んだことを明かした。ひとりが「あれ? じゃあ(ビート)たけしさんの方が(芸人デビューが)後じゃないですか?」と問うと、鶴瓶は笑いながら「たけし兄さんの方が後かもしれないけど、(たけしの方が)権力あるから(「兄さん」って呼んでる)」と冗談交じりに返した。
この話がきっかけとなり、鶴瓶が“たけしと初めて会った時のこと”を回顧し始めた。漫才ブームが起きた年(1980年)よりも少し前に話は遡る。当時、大阪の「あべのアポロ」の舞台に出ていた鶴瓶は、漫才コンビ・ツービートで活動していたビートたけしと初対面を果たした。
初対面の時は、お互いを「たけし兄さん」「鶴瓶さん」と呼んでいたという。当時の鶴瓶は漫才ではなく、『鶴瓶噺』をやっていたことから、両者に頻繁な交流はなかったようだ。それでも、初めてツービートの漫才を観た時「(ジャンルは違ったけど)やっぱ、スゴイな」と鶴瓶は感じたという。
昨年ゲスト出演したテレビ番組『サワコの朝』において、劇団ひとりはビートたけしの名曲『浅草キッド』を選曲している。その際、ひとりは『浅草キッド』の歌詞に出てくる“くじら屋”のモデルとなった居酒屋『捕鯨船』での出来事を、とてもうれしそうに語っていた。そんな大のたけしファンであるひとりにとって、鶴瓶とたけしの初対面でのエピソードの一端に触れたことは非常に貴重な体験であろう。次回はぜひ、たけしの口から鶴瓶との初対面の印象を聞いてみたいものだ。
(TechinsightJapan編集部 TORA)