尺八奏者の村岡実さんが1月2日に亡くなり寂しくなった邦楽界にまたも訃報が届いた。2月10日に人間国宝の山本邦山さんが亡くなった。村岡実さんは演歌やポピュラーを演奏。山本邦山さんは都山流の重鎮でありながら現代邦楽やジャズとのセッションに取り組んだ。尺八のみならず和楽器が世間に広く受け入れられたのは2人の活動の影響が大きい。
2月10日に都山流尺八奏者の山本邦山さんが亡くなった。10日の朝に自宅で倒れて病院に運ばれたがそのまま息をひきとったという。76歳だった。1月2日に演歌尺八で知られる村岡実さんが亡くなったばかりで尺八界の巨星が立て続けに逝ってしまったことに悲しみと喪失感を覚えた。
村岡実さんは1月2日に自宅のソファーで亡くなった。90歳の大往生である。彼の尺八演奏でもっとも多くの人々が耳にしたのは、ラジオ番組『永六輔の誰かとどこかで』(2013年9月27日に終了)のオープニングで流れる『遠くへ行きたい』のメロディーだろう。
村岡さんは1965年に第7回「日本レコード大賞」を受賞した美空ひばりの『柔』で尺八を演奏した。それが縁で演歌界とつながりを持ち、村田秀雄や北島三郎などの伴奏を務める。
また、当時の尺八界のエースともいえる村岡実、横山勝也、宮田耕八朗の3人で東京尺八三重奏団を結成しており、1964年には三木稔・長澤勝俊と和楽器奏者14名で立ち上げた現代邦楽を演奏する日本音楽集団にも参加している。
村岡さんが日本音楽集団で活動を続けていれば、今の尺八事情も違っていたかもしれない。だが、彼は楽団を離脱して演歌との共演や数々のポピュラーを演奏する道を選ぶ。前述の『遠くへ行きたい』の他にもジャズから童謡まで数え切れない楽曲を演奏しており、誰しも村岡さんの尺八をどこかで耳にしているはずだ。
山本邦山さんも都山流尺八奏者として古典を伝えながら、 原信夫や佐藤允彦、富樫雅彦、山下洋輔といったジャズミュージシャンとも共演してきた。進んだ道は違っても村岡実さんと共に尺八だけでなく三味線や和太鼓など和楽器の可能性を広げたのだ。
彼の弟子となる藤原道山さんはクラシックやポピュラーなどジャンルを超えて演奏するスタイルで師が作った道を引き継いでいる。尺八界の大物が立て続けに亡くなったことは残念だが、影響を受けた奏者は多い。音源や若手の演奏として2人の音楽は生き続ける。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)