エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】RIP SLYMEが来年20周年に。長続きの秘訣と30年前の意外な出会い。

ヒップホップグループ・RIP SLYMEが来年で結成20周年を迎える。メンバーのRYO-ZとILMARIの2人が、バラエティ番組『王様のブランチ』で生まれ育った東京の下町を訪れた。子ども時代に2人が出会った意外なきっかけをはじめ、解散の危機を乗り越えてグループが長続きしている秘訣などを語った。独特なセンスで日本のヒップホップ界を引っ張るRIP SLYME。今回のロケでは2人が、久々に出会った地元の人々から愛されて人懐っこい素顔を見せていた。

RYO-Z、ILMARI、PESの現メンバーとDJ SHOJI、DJ Shigeの5人で結成した彼らは、1995年にアルバム『Lip’s Rhyme』でインディーズデビューした。その後、メンバーが入れ替わりDJ FUMIYAとSUが加入して現在の5人が揃う。2001年3月22日にシングル『STEPPER’S DELIGHT』でメジャーデビューすると、翌年出した2枚目のアルバム『TOKYO CLASSIC』はオリコン初登場1位となる。同日に発売されたSMAPのアルバムを抑えての1位という人気ぶりだった。

2003年には5万人超を動員してLIVE『SUMMER MADNESS ’03』を開催。さらに2004年に行った初のアリーナツアー『MASTERPIECE TOUR 2004』では全国7都市11公演で述べ10万3000人を動員している。その後もヒット作を連発したが、DJ FUMIYAが体調不良で一時活動を休止するなど活躍ゆえの影響も出てきた。しばらく個人の活動に重点を移した彼らが、今年の5月に3年ぶりとなるシングル『ロングバケーション』、12月4日には2年9か月ぶり9枚目のオリジナルアルバム『GOLDEN TIME』をリリースしたのだ。

12月7日、『王様のブランチ』のコーナー“サンキュー ミュージック”にRIP SLYMEのRYO-ZとILMARIが出演した。2人は母校・深川第七中学校の校舎を眺めながら、「歳はひとつ違うが、小学校から一緒なので30年のつきあいになる」と子どもの頃を振り返る。そんな2人が出会ったのは、音楽とはあまり関係の無いことがきっかけだった。

小学校の頃に流行ったローラースケートをやっていたRYO-Zは、シューズにローラーを後付けするタイプではなくブーツとローラーが一体となった本格的なタイプを使ってスイスイ滑っていたという。そんな彼の耳に、「隣町でもシューズタイプのローラースケートを履いて滑っているヤツがいる」という噂が入ったのだ。「それがコイツだった」とRYO-ZはILMARIを指さした。

低学年の頃からローラースケートをやっていた2人は、その後光GENJIの人気でローラースケートがブームとなった時には、「俺はもとからやってるし」という立場で地元では有名なローラースケート少年だった。

そんな出会いを思い出しつつ生まれ育った下町の住吉銀座商店街を歩けば、町のおばちゃんたちが「あ、りょうちゃんだ!」、「りょうちゃんがいる」と懐かしそうに集まってきた。2人が通ったもんじゃ焼きのお店では、おかみさんと再会して「わたしから叱られて、こんな良い子に育った」と子ども扱いだ。

RIP SLYMEの中心的メンバーである2人も、すっかり30年前の子ども時代に戻っていた。彼らの人懐っこさはこんな下町で育ったことで培われたのだろう。

しかし、そんなRIP SLYMEもブレイクで急激に環境が変わったことから、解散の危機もあったという。それを乗り越えて来年20周年を迎えるところまで続けることができた。最近はメンバーだけで食事するほど仲が良いというが、その秘訣を2人はこう語る。

ILMARIは「これ以上入ってはいけないテリトリーの手前で踏みとどまるのがコミュニケーションのコツだね」と話すと、「RYO-Zにはお腹がすいている時は話しかけないこととか」とその例をあげた。そんな時のRYO-Zには、「食べてから話そう」と言うに限るそうだ。RYO-Zは「みんなの怒りのポイントを把握することだね。最近のムーブメントとしては怒っている人に『おこ?』とあえて聞いてみる。すると『怒ってないし』というしかない」と、具体的な方法まで明かしてくれた。

最新アルバム『GOLDEN TIME』の表題曲には、「今までのテレビ史の“名言”を盛り込んだ」という。「大どんでん返し」、「倍返し」、「さらに倍でドン」などが入った歌詞は、そんな楽しいコミュニケーション術で20年間続いているRIP SLYMEだからこそ歌えるものだろう。

※画像は、『rip_slyme Instagram』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)