ロックバンド・LUNA SEAが音楽番組『LIVE MONSTER』(日テレ)に出演して、“活動休止と再会、そして終幕から復活”とバンドの方向が変わり続けたことについて真相を語った。番組MCの中村正人(DREAMS COME TRUE)によるミュージシャンならではの進行に、彼らも「音楽番組で深い話ができることはそう多くない」と本音を明かす覚悟を見せた。
1989年に町田プレイハウスで結成したLUNA SEAは1992年にインディーズラストライブを行うと、5月21日にアルバム『IMAGE』でメジャーデビューした。圧倒的な人気を得て日本武道館や東京ドーム公演を成功させるが、1996年12月23日に横浜スタジアムでクリスマスライブを終えると活動休止期間に入る。
12月1日の『LIVE MONSTER』ではLUNA SEAのボーカル・RYUICHIがその頃について、「町田のライブハウスで5人が出会い、『このメンバーならば天下が取れる』と思った。特にインディーズ盤にはそれまでの思いを詰め込んでいる」とメジャーデビュー前の充実した日々を振り返った。しかし1992年にメジャーデビューを果たすと、作品を生み出す時間とCDリリースするタイミングに翻弄されていく。
RYUICHIは「自分の夢だったはずのものに対して、呼吸ができなくなっていった」と当時の実情を語っている。SUGIZO(ギター)がそれを受けて、「強迫観念みたいになっていた。LUNA SEAで必死に走ってきたので、音楽も人としても、新しいエネルギーを吸収する必要があると思った」と続けた。
およそ8か月間の活動休止で充電した彼らは12月17日に活動再開ライブを行うと、翌年4月に出した9thシングル『STORM』がオリコン初登場第1位となった。その後も立て続けにヒットを出すと、年末には紅白歌合戦に出場している。
だが、2000年の12月26日と27日に東京ドームで『LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME』を行い“終幕”を迎えるのだ。その頃には、RYUICHIが河村隆一としてヒット曲を連発したのをはじめ、メンバー各自がソロ活動を続けていた。
バンドが解散する理由に「音楽性の違い」を挙げることがあるが、SUGIZOは「音楽性の違いは5人が集まった時からあった」と明かす。町田のライブハウスで出会った時から各自のスタイルは様々だったが、「音楽性が違っても『一緒にやろう、成功しよう』という意志があれば、なんら問題は無い」と彼は語る。
では、LUNA SEAが終幕した理由はなんだったのか。SUGIZOが「ぶっちゃけ、みんな顔が見たくなくなった」と本音を話すと、RYUICHIは「僕は仲が悪くなった理由もなんとなく分かる。性格が合わないというよりも、顔を合わせると『音を出さないといけない』、『モノを作らなければならない』といった強迫観念があり、仲が悪くなってしまった」と話した。
SUGIZOは「今思えば、感謝の気持ちを忘れていた」とつけ加えた。メンバーやスタッフ、ファンに対して「一緒にいてくれてありがとう」と感謝する大前提を20代の頃には見失っていたと反省する。「『もし俺だったらもっとできる』という過信がメンバーの誰にもあったはず」という彼の言葉に、RYUICHIは何度もうなずきながら「いい話だね~」と共感していた。
真矢(ドラム)はその頃のメンバーの関係について、「楽屋は別々だったし、打ち上げとかもみんなバラバラにいた」と証言する。地方のイベントなどは車に一緒に乗りたくないので、5台用意してもらったそうだ。
そんな中で、終幕前の12月23日にリリースするベスト・アルバム『PERIOD ~THE BEST SELECTION~』に収録する新たなレコーディングテイクを録る必要があった。
J(ベース)は「バラバラだったからこそ、あえて合宿をした」と明かす。普段は顔も合わせたくないメンバーだが、合宿となれば長時間一緒にいることになる。だが、誰も確信に触れることはなかったのだ。「空気として、『ああ、俺たちはそういう意味で最後のアルバムを作っているんだな』と思いながらレコーディングした」と彼は語る。
それから7年が経った2007年12月24日。そこまでバラバラだった5人がLUNA SEAとして東京ドームで一夜限りの復活ライブを開催した。復活についてはメンバーの誰が言い出したわけでもないようだ。スタッフから「○○がまたやりたいって言っているようだ」と聞かされたり、説得されたりしたという。
SUGIZOが「まず、会ってみようと決心した。最悪殴り合いの覚悟で打ち合わせに出向いた」というほどメンバー間にはまだ、わだかまりがあったのだ。しかし、RYUICHIが謝って仲介人的な役を買って出たことで少しずつ打ち解けた。「ほっとした。家族なんだなと感じた」とSUGIZOは思い出す。
番組MCの中村正人が「7年ぶりに音を出した感じはどうだった?」と聞くと、RYUICHIは「いや、凄かったですね!」と目を輝かせた。彼はボーカルなのでバンドのセンターに立つ。「“ドン”と音が飛んできた瞬間に、正しい表現か分からないが『外タレみたいだな』と感じた」とその感激を伝えている。
また、INORAN(ギター)も「7年間、演奏していなかったのに、カウントが入って一発目の音がみんなバシッとあう。それってとんでもないことですよね」と力を込めると、RYUICHIは「真矢くんが“タカトン、バーン”ってやる瞬間に全員の音が集まる。そこには壁なんてない」と表現する。SUGIZOも「音を出した瞬間に『あ、俺このバンドでやりたい』と思った」と興奮気味に話した。
INORANは自分の腕や手に触れながら、「たぶんこの5人で作った細胞が(みんなの体に)いっぱいある。一緒にバンド活動して過ごして、生きてきた中で作られたものが。それがバッと動いた感じだった」と語っている。
その後、2010年に「LUNA SEA REBOOT」と再活動を発表した彼らだが、2007年の一夜限定ライブでは「これからどうする」という話は誰もしなかったらしい。
Jは「あの時に感覚としてみんな持ち帰ったものだ。俺たちがやってきたことに、また別の命が宿っている。俺たちを見てロックバンドを始めたやつらや、曲を聴いて勇気を出してくれたやつら。LUNA SEAというのは俺たち5人だけでは無いと感じた」ことが復活につながったという。
さらに、SUGIZOが「ロックを本気で伝えなきゃいけないのは俺たちの世代。もう40代だが『カッコよく年をとって、本気でロックをやって“最高だよ!”』というスタンスを俺たちがやらなければ誰がやるんだ。『ここでLUNA SEAを終わらせたら罪だ』と思った」と復活の理由を明かすと、その熱い心に感動した観客たちから歓声が沸いた。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)