EXILEがまだ「J Soul Brothers」を名乗っていた頃からオリジナルメンバーとして活動しているUSAが、福岡のテレビ番組『ナイトシャッフル』に出演した。彼はまだ人気が出る前の「J Soul Brothers」時代に起きた“伝説の0人ライブ”について真相を語った。アーティストやアイドルのデビュー時には観客が少なかったというエピソードは耳にするが、彼らの場合は全く違った状況だ。「怒りのダンスを踊った」というその悔しさが、後の活躍の原動力なのかもしれない。
今では日本を代表するダンス&ボーカルユニットとなったEXILEだが、下積みの頃は辛いこともあったという。8月18日の『ナイトシャッフル』(FBS福岡放送)にゲスト出演したUSAが、その頃の思い出を話した。
現在36歳の彼がダンスを始めたのは、まだ14~15歳で中学生の頃だった。両親はディスコで出会ったのをきっかけに結婚したという音楽好きだ。特に父親は英会話教室に通い、街で知り合った外国人を連れてきて鍋パーティをする社交的な性格である。USAはそんな環境で音楽やダンスを身近に感じて育ったのだ。
高校卒業後にアルバイトで貯めた資金をもとに、NYに渡りダンスの武者修行を始めた。その時一緒に行ったのがMATSU、MAKIDAIで、3人で安いモーテルに泊まりながら修行を続けたという。USAの父親は「金もないのに外国に行ってダンスやってくるって、なにやってんだかなという感じだった」とその時のことを振り返っており、呆れていたようだ。
そして日本に戻ったUSAも、やがて「ダンスではリアルにお金にならない」ということに気づいて途方にくれる。しかし彼が日焼けサロンでアルバイトをしていた時に、憧れのHIROがやって来て運命的な出会いを果たすのだ。HIROを中心にMATSU・USA・MAKIDAI・SASAの5人で「J Soul Brothers」を結成したのが1999年だった。
その頃の話だ。あるイベントに出演することになった彼らは、舞台裏でスタンバイして出番を待っていた。すると、「『蛍の光』が流れてきて、終了のあいさつまでしていた」とUSAは当時を思い出す。「あれ? 俺たちこれから出番なんだけど!」と慌てるが、もう観客は帰ってしまった。やる気満々で準備していた彼らはそれでは収まらない。「誰もいないところで、“怒りのダンス”を踊りましたね」と語るUSAは、今でも悔しそうだった。
なかなか日の目を見なかった彼らは、「妄想する“もしも話”でテンションを保った」そうだ。例えば「明日いきなり100万枚売れたらどうする?」と想像して、メンバー間で「やべえ道歩けなくなる!」、「あんな服買って、スニーカーもいっぱい買える!」と妄想を膨らませるのだ。
2001年にEXILEとしてシングル『Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭~』でデビューした彼らは、2003年に紅白出場を果たし、2008年には『Ti Amo』にて第50回日本レコード大賞を受賞する。その後もレコード大賞連続受賞や数々のヒット曲を出して、様々なライブパフォーマンスを行ってきた。
そんな中で、2013年をもってHIROがパフォーマーを引退することを宣言した。妄想を膨らませた彼らはその夢を果たし、EXILEも次の章へ突入する。
USAはダンスプロジェクト・DANCE EARTHの取り組みで、世界を旅していろいろなダンスと出会っている。ケニアのギリヤマ族では「80歳を超える伝説のおじいちゃんダンサー」に出会い、「腰が曲がった長老だったけど、音楽が鳴るとスーパーおじいちゃんだった」ことに感激。話を聞くと「奥さんが20人、孫が100人以上」と分かり、さらに感動したのだ。
彼は「世界に踊りが尽きることは無いので、世界中のリズムを乗りこなすのが僕の夢」と語る。EXILEのオリジナルメンバーとして活躍する彼も、いつかは後輩にその座を任せて次の夢を目指すことになりそうだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)