エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】「アイドル劣等生だった」。元モー娘。紺野あさ美が女子アナを目指した理由。

テレビ東京の紺野あさ美アナウンサーが『WBS就活応援プロジェクト』でモーニング娘。から女子アナとなった経緯について語っている。女子アナとなった今ではモー娘。時代のことにあまり触れない紺野だが、アイドルだった彼女が女子アナになる道を選び、それを実現するまでには人知れぬ苦悩があったのだ。

4月2日に開催された映画『舟を編む』の公開イベントに参加した紺野あさ美アナは、女子学生から語彙を増やす方法を尋ねられて「ロマンチストになり、小説や歌の歌詞を好きになることで言葉に敏感になってください」と答えていた。モーニング娘。を卒業した彼女が、テレビ東京の女子アナとなってから2年が経つ。イベントでアドバイスができるまで成長したその姿には、感慨を覚える。

4月4日の『Facebook「WBS就活応援プロジェクト」』では、その紺野アナの談話が紹介されている。彼女は2001年に「LOVEオーディション21」に合格してモーニング娘。となるが、2006年には大学進学を目指して高等学校卒業程度認定試験を受けるためにモー娘。とハロー!プロジェクトを卒業するのだ。しかし、その翌年には音楽ガッタスでハロプロに復帰している。

そうして芸能活動を続けていた彼女だが、2009年の3月に再びハロプロを卒業すると12月にテレビ東京のアナウンサー試験に合格したことを発表して世間を驚かせた。2010年の12月に「紺野あさ美 FCイベント ~紺野はあしたからも紺野です~」を開催して芸能活動を終えた。2011年4月1日からはテレビ東京に入社して、女子アナの道を歩み出したのである。

同期の高橋愛、小川麻琴、新垣里沙はモー娘。を卒業しても舞台などで活躍するが、紺野はモー娘。以外の芸能活動へは関心がなかったそうだ。中学校の時によく聴いていたモー娘。の楽曲『SAY YHEもっとミラクルナイト!』がきっかけでオーディションを受けた彼女は、「目指していたのはアイドルではなく、あくまで“モーニング娘。”という存在」だったという。

それゆえに、モー娘。を卒業してからハロプロアイドルやそれ以外のタレント活動を続けることに違和感を持ったのである。悩んだ結果、選んだのが女子アナという選択肢だった。ソロ活動をした場合にグラビアの水着が小さくなるという話なども聞いて、水着が苦手だった彼女は気が進まなかったといういきさつも、笑いながら明かしている。

小学生の頃にアトランタ五輪で銅メダルを取った、女子マラソンの有森裕子選手の「自分で自分をほめたい」という言葉に感動した彼女は、そんな言葉を人々に届けるアナウンサーという仕事に興味を持った。そんな経験が後に女子アナ志望につながるのだ。

中学までしか卒業していなかったために、モー娘。卒業後は予備校に通って大学進学を目指した。同時に2つの予備校に通い「1日に11時間は勉強すると決めて実行した」という彼女は、AO入試を通過して志望した慶應義塾大学に合格する。

だが、それは目標のアナウンサーになるための過程でしかない。「1年目の就活でキー局がダメだったらもう1年トライする。それでもダメたったら地方局も受けて、やれるだけやろう」と、とにかくアナウンサーになるべく就職活動を続けたのである。

中学生でモー娘。となり芸能界に入った彼女が、なぜそこまで険しい道を進むことができたのか。「アイドルとしては“劣等生”だった」という体験がその原点にあるようだ。紺野はモー娘。のオーディションで審査員から「君は赤点合格だよ」と言われた。その状態から周囲に遅れずついていくのは大変だ。

「本当に大変な毎日でした。でも、いつでも絶対に諦めないという気持ちを強く持っていたことで何とか乗り切ってこれた」と彼女は当時を振り返る。“アイドル劣等生”だったことで、諦めないことを身をもって学ぶことができたのだ。それが卒業後の受験勉強や就職活動でもいかされたのである。

そんな苦難を乗り越えて女子アナとなった紺野あさ美は4月1日で3年目に突入した。イベントで女子学生から「将来は女優からアナウンサーに転身したい」という話が出ると、紺野はモー娘。と女子アナという二度も夢を目指せた経験を語った。女子アナとして成長した彼女は今、自信を持って元モーニング娘。をアピールできるようになったようだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)