書道家の武田双雲氏が新年の1月2日にツイッターで、正月に“あけおめ”と書くことについて「お叱りを毎年受ける」と明かした。「正しい日本語じゃない!」との批判に対して、武田氏はあえて書き続けるという。彼のツイッターには読者から“あけおめ”について様々な意見が寄せられており、武田氏もブログで改めて見解を綴っている。
“あけおめ”とは新年の挨拶『あけましておめでとう』を略した表現で、携帯メールで打ち込みやすいことから2000年頃に若者を中心に普及した。最近は会話でも「あけおめ」、「メリクリ」など季節の挨拶を略す場面も見られる。
1月2日に武田双雲氏がツイッターで、「お叱りを毎年受ける。僕が“あけおめ”って書くことに。あれは正しい日本語じゃない!って。だから、あえて僕は毎年書く」とつぶやいた。それに対して「思ったことをつぶやけばいいんです」、「正しい日本語って何でしょうね?」などの反響があった。
武田氏は1月3日にブログ『書の力』で、「あけおめ。はダメですか?」と題して、ツイッターに返ってきた意見を整理して紹介している。
「“あけおめ”はただの略語なので、使って欲しくない」、「何でも略してしまうことに抵抗はあったが、みなさんの意見を見て両方大事にすればいいと思った」など、多少なりとも略語に抵抗があるとの声も少なくない。一方で「賀正や謹賀新年も略語なので、“あけおめ”も間違いではない」、「“あけおめ”は正しい日本語。古来、短縮語は日常的に使っています」と略語も正しい日本語のあり方だとする意見もある。また、言語学者や大学教授が語った『言葉は時代とともに変化する』という主張を挙げる読者も複数いたようで、武田氏も「金田一先生と日本語対談した時も、同じことをおっしゃっていました」と共感している。
武田氏は「言葉は奥が深い。その時の関係性や気分でも解釈や感覚が違う。同じバカヤローでも、愛の時もあれば単なる怒りの発散だったり」と自身の考えを示すが、「話が、違う方向にいきそうなので…」とそれ以上の展開は避けている。
略語も言葉として、時代の流れと共に変化するものであり、しかもその場面で意味合いも違ってくる。正しいか否かはその時々によるといったところだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)