1970年代中頃から約10年間、テレビのお笑い番組では萩本欽一が絶対的な存在であった。彼が企画・主演する番組はどれも高視聴率をマーク。そんな人気絶頂だった萩本に敵意むき出しで挑んだのが、ビートたけしと弟子のたけし軍団である。その軍団の大番頭といわれたガダルカナル・タカが、当時の血気盛んだった様子を感慨深げに語った。
所属会社が違う30代の芸人からは今でも、「たけし軍団」のイメージは“怖い”“厳しい”だという。また軍団の結束が固いことでも有名である。そこには“打倒!萩本欽一”という大きな目標が彼らにはあったからだ。
12月29日放送の『東西芸人いきなり!2人旅』3時間スペシャル(朝日放送)で福岡を一緒に旅した、西野亮廣(キングコング)とガダルカナル・タカ。そこで西野は「レギュラーだった番組『はねるのトびら』(放送終了)に出演している間は、他の番組に出ないようにしていた」と告白した。それは『はねるのトびら』の格を上げるために相方の梶原雄太は別として、自分は他の番組に出るべきでは無いと考えていたという。
そんな西野の話に理解を示す、タカ。彼も若い頃は「たけし軍団」のメンバーとしてのプライドがあり、軍団以外の芸人らと絡むのを長い間避けていたらしい。しかし40代になると肩の力が抜けたようで、所属事務所関係なくお笑いの仕事を一緒にすることが楽しくなったそうだ。
「昨年かな、初めて萩本欽一さんと共演したんだよね」とタカは苦笑いする。“お笑い界で天下を取るためには、萩本を倒すしかない”と燃え上がっていたというたけし軍団。萩本と違うお笑いを目指し、時には彼のお笑いに対する姿勢をも、たけしは激しく攻撃した。そして1985年、萩本は充電期間を設けるため休養に入り、その年ビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が始まったのだ。まさに、お笑い界の世代交代が行われた年であった。
共演した番組で、タカは思い切って「たけしと軍団のこと、大嫌いですよね」と萩本に訊ねたそうだ。すると「実は浅草で弟みたいに(たけしを)思っていた」という答えが返ってきたのだ。萩本もたけしも売れない時代に、浅草の演芸場『フランス座』の舞台に立っていた“浅草芸人”である。そして萩本もまた、ザ・ドリフターズをバラエティ界の天下から引き摺り下ろした人物なのだ。たけしに対する“憎しみ”など、今となっては残っていないのだろうか。
今回出演のガダルカナル・タカや過去に出演した井手らっきょも、年下の吉本芸人らに本当に優しかった。「たけし軍団」は怖いとのイメージからか、あの千原せいじ(千原兄弟)でさえ井手とこの番組で一緒に旅をした時、最初は緊張して話しにくそうであった。しかしタカも井手も後輩の話しやすそうな話題を探り出し、自然に話が弾むように仕向けていた。そして自分たちのお約束のギャグも、タイミングを見て出してくる。2人には「たけし軍団」メンバーの、“懐の深さ”が感じられる。
(TechinsightJapan編集部 みやび)