歌手の加藤登紀子が、9月7日から開催される尾崎豊特別展の内覧会に訪れた。彼女は尾崎の手書きのノートや息子である尾崎裕哉の生歌に感激した様子をブログで報告している。これまで数え切れないほどの楽曲を歌ってきた加藤登紀子だけに、その心に響くところも大きかったようだ。
尾崎豊は1983年にデビューすると、「15の夜」「卒業」など若者の心の叫びを歌い上げた数々の楽曲が共感を呼び、カリスマロックミュージシャンとなった。その彼が1992年に26歳で急逝して今年で20年となる。
ラフォーレミュージアム原宿では、尾崎豊特別展が9月19日まで開催中だ。歌手の加藤登紀子が6日に開かれた内覧会の様子と感想を、オフィシャルブログ『Tokiko Kiss』で綴っている。
内覧会の数日前から尾崎豊の著書『NOTES 僕を知らない僕』を読んでいた加藤登紀子は、「彼の残した言葉の膨大な量と、表現のまっすぐさに感動した」思いで会場に向かった。そこで彼女は『NOTES 僕を知らない僕』の手書きのノートを見ることができ、前日からの思いが胸に迫った。さらに尾崎豊の息子・尾崎裕哉が父の楽曲『僕が僕であるために』を歌うと、感動が込み上げたのだ。「尾崎豊が蘇ったみたいなデジャヴュを感じ、ちょっと泣いてしまった」と加藤はその時の心境を記す。
尾崎裕哉の歌声は父・尾崎豊に似ているだけでなく心を打つものがある。彼が歌う『I LOVE YOU』がCMに起用されるなど、これまでも父の楽曲を歌っている。尾崎裕哉が出演した番組では、共演者や観覧客がその歌声に感激して涙したほどだ。ベテラン歌手の加藤登紀子も感じるところがあったのだろう。
尾崎豊は1984年に日比谷野音で開催された反核コンサートでステージから飛び降りて骨折した。しかし彼はそれでも歌い続けたというエピソードがある。展覧会場にはそのライブでギターを手に熱唱する尾崎豊の写真も飾られている。また加藤登紀子は、会場に入ると「NOTESの冒頭の“絶望的青春”の一節がまず大きなパネルになっていて、飛び込んでくる」と紹介すると「今15歳を生きる人たちに、まっすぐ響く言葉だと思う」と述べているのだ。
尾崎豊が伝えようとした思いは彼の作品として今もなお生き続けている。尾崎豊特別展で加藤登紀子はそれを再確認したのではないか。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)