1996年のデビューから次々とヒット曲を生み出し、現在も業界の第一線で活躍するEvery Little Thing。順風満帆に活動を行っていると思われた彼女たちの辛い過去が語られた。それはボーカルの持田香織にとっては「乗り越えなくてはならない」出来事であった。
今年デビュー16年目を迎えるEvery Little Thing(ELT)。そのボーカル持田香織が『火曜曲!』(TBS系)に出演した。「日本ウラ芸能史」と題して放送されたこの日、名曲「fragile」制作時の秘話が語られた。
ELTはデビュー当時からヒット曲を連発し、当時の若い世代の女の子から絶大の人気を誇っていた。1999年、そんなELTに大きな衝撃が走った。リーダーである五十嵐充が脱退を決めたのだ。これまでELTの楽曲は作詞、作曲、サウンド面すべてを五十嵐が担当していた。五十嵐が抜けるということはELTにとっては大きな打撃を意味する。その時のことを持田自身も「この先、2人で(ELTを)続けて行くことは、すごく難しいことだと理解していた」と話す。
周りのスタッフから「ELT大丈夫かな?」、「曲作る人が抜けたもんね」と陰で囁かれることもあり、ELT存続を危ぶむ声は高まっていった。そんな状況に持田も「(歌手を)やめなくちゃいけないかな」、「続けられるとしてもELTって名前は変えなくちゃいけないんだろうな」と不安に思う日々が続いたようである。
曲作りから打ち合わせまで、五十嵐がやっていた全てのことを残された2人でしなければならない。持田には作詞というプレッシャーがのしかかった。これまで作詞をしたこともなく、迷いあぐねた彼女はその時の自分の正直な思いを綴った。そんな辛い状況の中、出来あがったのが「fragile」である。この「fragile」には「脆い、壊れやすい」という意味がある。この時の持田の気持ちがありのまま書かれていたのだろう。スタッフの「絶対売れる!」という言葉も当時の彼女にはプレッシャーでしかなかった。
2人になって初めてのレコーディングの日に事件が起こってしまった。レコーディングをしていた持田の眼から涙が溢れてきた。リーダーが居なくなった不安、極度のプレッシャーによって歌が歌えなくなってしまったのだ。持田はその場から逃げてしまう。持田の心は破裂しそうで壊れる寸前だったのである。しかし、この経験が彼女を変えた。「自分がせっかく想いを込めて作った言葉を自分が歌わないんでどうするんだろう」と、今まで何となく歌っていた自分が初めて歌と向き合えた瞬間だった。当時のことを持田は「何かを一つ乗り越えなきゃいけなかった時だと思う」と振り返った。
その後、無事にレコーディングを終え、2人になって初めて発表した「fragile」。周囲の不安を乗り越えオリコン1位を獲得し、今となってはELTの代表曲とまでになった。この曲の「まだ知らない明日へと、つながってゆくよ」という歌詞のようにELTの未来に繋がる楽曲となったのだ。現在、ELT以外にソロシンガーとしても活動している持田。ソロでは作詞作曲も手掛けている。この時の経験が大いに役立っているのだろう。辛い経験を乗り越えてこそ、現在の活躍があるのだ。
(TechinsightJapan編集部 瑛里)