今月7日に自宅で心不全で亡くなった、山口美江さん(享年51)。自宅で一人暮らしだった山口さんを、“孤独死”と各マスコミが哀れんだ内容の報道をした。しかし、あるテレビ番組で「年齢によって一人暮らしでの“孤独死”は、意味合いが違う。」と大激論になった。
山口美江さんは上智大学外国語学部を卒業後、社長秘書などを経て1980年後半から報道番組のニュースキャスターやバラエティ番組の司会、テレビドラマへの出演と幅広い分野で活躍し“元祖バイリンギャル”と呼ばれていた。1996年には認知症の父親を介護するために芸能界を一時引退。母親はデビュー前に亡くなっており、長年男手ひとつで自分を育ててくれた父親の介護を献身的に行っていた。しかし2006年には父親も亡くなり、その後は愛犬2匹と静かに暮らしていたようだ。
3月11日放送の『サンデージャポン』(TBS系)では、レギュラーのテリー伊藤やデーブ・スペクターが山口さんについての思い出を語った。
テリーもデーブも、過去の人気テレビ番組で山口さんとは仕事仲間であった。“育ちの良いお嬢さん”という彼女に対する印象は2人とも共通で、デーブは「芸能界から引退する時も、何の未練も無かったようだった。」と話す。テリーは「真面目でピュアなお嬢さん。2年くらい前に横浜のお店を訪ねたときも、気さくな態度で昔と変わっていなかった。」と寂しそうであった。
この山口さんの話題の関連で議論されたのが、“孤独死”という表現である。亡くなった方々の年代、様々な個人の考え方や状況が違うのに一人暮らしの人が自宅で亡くなると、全て“孤独死”と表現され哀れんだ報道をされるのが納得がいかない―との意見がスタジオの出演者から出されたのである。
「肉親や知人を見送ってひとりになってしまった高齢者と、50歳くらいの一人暮らしの人では“孤独死”の意味合いが違う」とデーブが言うと、ゲストのミッツ・マングローブも「私も自らこの生活を選んでの一人暮らし。例え今部屋で死を迎えることになっても、それはしょうがないことと思っている。」と、淡々と話していた。
確かに「家族がいて(山口さんの場合)救急対応ができれば、一命を取りとめることができたかもしれない。」という意見もある。だが家族がいるからといって必ずしも、最期を看取ってもらえるとは限らない。
「孤独じゃない“死”って、あるの?」と疑問を投げかけるテリー。現代の日本には幅広い年代で多くの一人暮らしの人がいる。50代以下での“孤独死”も決して珍しいことではないのだ。「“家族に看取られて死ぬ”のが幸せだ」という意見と、「死ぬ時は誰でもひとり。“孤独死”を脅迫的な表現にして欲しくない。」という意見。みなさんはどう思われるだろうか。
(TechinsightJapan編集部 みやび)