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writer : testjournalist

【エンタがビタミン♪】「田中はつまらない」。芸にも厳しい人だった。奇才の親は奇才!? 爆笑問題・太田の父・三郎さん。

お笑いコンビ爆笑問題の太田光の父・太田三郎さんが19日、急性循環不全で亡くなった。2011年の1月ごろから入院をしていたという三郎さん。太田は、まれにではあるが自身のラジオで実父の話をしていた。さほど多くは語らないが、幾度となく少しずつ語られてきた内容からは、日ごろから太田が父親を気に掛けている様子がうかがえた。

父・三郎さんが入院する病院にお見舞いに行ったときの話である。面会が終わり、帰る際は必ず病院周辺のタクシーを使っていた太田光。数か月通っている間に、ほとんどのドライバーが太田と顔見知りになり、遠く離れた都内の自宅の場所を覚えてくれたほどだという。現在多くのレギュラー番組や執筆連載をかかえる売れっ子の太田が、足繁く父親のもとに通っていたことを示すエピソードだ。

また東日本大震災の発生後、初の『JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)では「親父が、正月から入院しているんです。」、「ボケちゃって、何にも分かんないんですけど、ちょっと心配で」と太田は語っていた。

2010年3月7日放送の『爆笑問題の日曜サンデー』では、若かりし頃の父についても触れた。父・三郎さんは建築家であったが、書道を趣味としていたらしく「(三郎さんは)某有名焼肉店の看板を書いた人」と明かした。三郎さんがその焼肉店の店舗建築をしていたことから実現したという。実際そのロゴは、力強い毛筆で書かれている。

また三郎さんは、落語家を目指していたことがあったそうだ。太田光と田中裕二の2人が爆笑問題としてコンビを組むようになってから、三郎さんは「田中はつまらない」と言っていたことを田中自身が覚えていた。「光はバカみたいなことを言うだろ? 田中はまともなことしか言わないんだよ」と語っていたとも明かし、芸にも厳しい人だと太田は苦笑していた。

太田から、ぽつりぽつりと語られてきた父・三郎さんの姿。その話からは、太田が父をとても慕っていたこと、そして息子同様多才かつ奇才であった生前の三郎さんの一端をうかがい知ることができる。心からのご冥福をお祈りしたい。
(TechinsightJapan編集部 佐々木直まる)