お笑いコンビ、デンジャラスのノッチはテレビ「紳助社長のプロデュース大作戦!」の企画で宮古島の民宿支配人を務めていた。島田紳助さんの引退により番組が打ち切りとなり、彼は民宿を従業員にまかせて東京で過ごす事態となった。だが、実は紳助さんの会見前にはすでにノッチに民宿支配人卒業の辞令が出ていたのだ。
8月23日の夜11時頃、島田紳助さんが緊急会見を開いた。その数時間前にノッチのもとにマネージャーからメールが届いていたのだ。紳助さんの引退会見から宮古島の民宿を閉鎖するまで、ノッチ夫妻の激動の1か月が9月30日放送のテレビ「中居正広の金曜日のスマたちへ 」で紹介された。そこには番組打ち切りで放送されなかった2人の姿が映し出されたのである。
東京にいたノッチへ届いたマネージャーのメールは「今夜、ニュースを必ず見てください。重大なことがあるようです」というもので、宮古島にいた妻の友美さんへも同様のメールが届いた。テレビで会見を見た2人は同じように『ドッキリ! だな!?』と疑い、隠しカメラを探したという。しかしNHKでもニュースが流れて事の重大さを受け止めたのだった。
ノッチは翌日の宮古島行きが中止となり、友美さんも荷造りしていったん東京へ戻ることになった。彼女は民宿「夢来人」の従業員であるビーチボーイズの4人に「不安だと思うけどお客さんにはちゃんと対応してね、絶対に戻ってくるから」とだけ言い残して宮古島を後にしたのである。
2人にとって紳助さん引退による番組終了がショックだったのはもちろんだが、実は宮古島から去ることについては心の準備ができていたのだ。「紳助社長のプロデュース大作戦!」から派遣されたお笑いコンビ、スリムクラブが突然民宿に訪れたのは会見の1週間前のことだ。スリムクラブ真栄田が辞令を取り出して「ノッチ殿、民宿『夢来人』支配人の卒業。および東京本社への異動を命ず。異動は2週間後」と読み上げたのである。
宮古島を出ることになったノッチは、民宿の運営で苦労をかけた妻へ数々のもてなしをして感謝を表した。夜になると浜辺にビーチボーイズと作った700個のロウソクによる『ともさんありがとう』の文字を浮かべたのだ。「宮古島は私達の宝物」と話していた友美さんは感動して「いや、帰りたくない、なんか辛いよ」と涙していた。この様子が放送されるはずだった番組が終了した為に、オンエアはされなかったのである。
異動により宮古島を出る心づもりをしていたノッチ夫妻だが、直後に起きた予期せぬ出来事で急遽東京に戻ったのだ。2人は民宿やビーチボーイズ、そして世話になった島の人々にけじめもつけずに出てきたことを悔やんでいた。そして9月25日、民宿『夢来人』は最後の客を送り出して営業を終え閉館した。ノッチ夫妻がようやく宮古島を訪れたのは9月27日のことだった。ノッチは民宿でビーチボーイズの4人と再会すると「肝心な時に支配人がいなくて申し訳ない」と真っ先に詫びていた。
初代支配人のレギュラーもやってきて全員で民宿の片づけを行い、動物達は引き取ってくれる方へ送り届けた。島の人々へ挨拶してまわると「地域のみなさんが一番悔しがっている」と民宿に協力してくれた方も残念そうだった。こうして、ノッチ夫妻は宮古島での民宿支配人の役目を終えたのである。
妻の友美さんは「あの方にはすごいお世話になった」とノッチを支配人に選んでもらったことについて思いを語った。「本当に私達夫婦をおいしくしてもらったのも、あの方なので『今まで本当にありがとうございました』としか言葉は無いです」と感謝していたのだ。
ノッチ夫妻にとって番組終了は今後の活動への影響も大きいはずだが、友美さんは「今度は自分達の力で頑張っていかなきゃいけないという気持ち。不安とかない、やるしかない!」と力強く話した。今回の苦難を乗り越えてノッチ夫妻はより存在感のある夫婦となってくれることだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)