現在は俳優活動がメインの武田鉄矢(62)だがデビュー当時は、フォークグループ“海援隊”のボーカルとして活躍していた。その海援隊の代表曲「母に捧げるバラード」の冒頭部分が、美輪明宏(76)が作詞作曲したヒット曲「ヨイトマケの唄」のパクリであるという噂の真実を、美輪明宏本人がテレビ番組で語った。
「申し訳ありませんでした。」武田鉄矢はあるテレビ局の廊下で、美輪の元に真っ直ぐに歩いてきて謝ったという。10月18日深夜放送の『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』(テレビ朝日系)内で美輪は武田本人から、謝罪を受けた時の様子を語った。
美輪がパクリの理由を聞くと、「当時大急ぎで歌を作らなければならなかった。」という武田。完成した「母に捧げるバラード」を聞いた海援隊の他のメンバーからすぐに、「これ美輪さんの歌じゃない? パクリだよ。」と指摘されたそうだ。しかし時間的に間に合わなかったため、直さずにレコーディングしてしまったのだ。その後「母に捧げるバラード」は大ヒットし、NHK紅白歌合戦にも出場するまでになった。だが武田はそれがずっと良心の呵責にあって、いつか直接美輪に会って謝罪したいと思っていたそうである。
その時に美輪は武田に向かって、「あなたは島原の乱の時の仲間ね。」と声をかけたのだという。美輪は自分は天草四郎(島原の乱の指導者とされる)の生まれ変わりだと自称している。その島原の乱で美輪の部下として一緒に戦ったのが、武田鉄矢だということだ。
この話を聞いていると美輪は、武田が直接“パクリ”の件で謝りに訪れるとわかっていて、彼を待っていたように感じた。島原の乱で彼らが上司と部下だったということは証明しようが無いが、「母に捧げるバラード」のパクリ説はどうやら本当だったらしい。
(TechinsightJapan編集部 みやび)