エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】「今でも“CHEMISTRY”という名前を聞くと、敗者としての絶望感を感じる。」という、EXILEのATSUSHI。

今年デビュー10周年を迎える、CHEMISTRY。3月にはベストアルバムを発売予定で、最近はTV番組への出演も相次いでいる。2月25日の『あさイチ』(NHK総合)では、CHEMISTRYの2人のデビュー前の思い出や、EXILEのATSUSHIからの手紙が紹介された。

広島県の山間で生まれ育った、堂珍。小学校は成績優秀で中学受験をし、中高一貫教育の進学校へ通う。高校時代にカラオケで歌った時、友人から「歌が上手い。」と褒められてから漠然と歌手になりたい―と思うようになった。高校を卒業してからアルバイトをしていた広島のTV局の同僚に、その当時の彼の印象を聞いてみた。「声も小さく体力も無かった。風邪をよく引いていたので、他のスタッフに感染しないように別の部屋によく隔離されていました。そして3か月で辞めてしまい、全く使えないアシスタントディレクターでした。」と残念な証言が。
「ただ宴会で尾崎豊の“I LOVE YOU”を彼が歌った時、あまりの上手さに場が静まり返ったのを覚えています。」

一方、東京下町育ちの川畑は勉強が大嫌いで、高校への進学はしなかった。だが何の職業も長続きせず、職を転々とする。唯一楽しかったのは建築現場で働くことだったが、同じ職場の先輩を見て「力仕事は年をとると、辛そうだ。」と思って続けていくのを諦めた。そして彼も中学時代から歌には自信があり、歌手への憧れを抱き続けていた。

2001年1月、TV番組「ASAYAN(テレビ東京)」の“男子ボーカリストオーディション”の最終審査で、堂珍と川畑の2人が選ばれ、その年の3月には“CEMISTRY”としてシングルを発売。この曲はオリコン1位を獲得し、ミリオンセラーになる。このオーディションで最終審査に残りながら落選したのが、現在はEXILEのボーカルとして活躍するATSUSHI。その彼から番組宛てに、今のCEMISTRYに対する思いを書き綴った手紙が届いた。

今でも“CHEMISTRY”という名前を聞くと、悔しさがこみあげてくるというATSUSHI。それは歌っている2人に対してではなく、“CHEMISTRY”という大きすぎるブランドに対して、敗者としての絶望感を感じるから―と正直に述べているのが何とも切ない。だがEXILEのボーカルとしてステージに立つ今なら、デビューしてすぐにスーパースターになった“CHEMISTRY”の2人の苦労が分かるようになった。急に有名になった彼らの大変さまで、当時は知ろうとする余裕が無かったのだ。
「僕も30歳になり昔より随分、丸くなりました。」

ATSUSHIとCHEMISTRYは、けっして仲が悪い間柄ではない。実際、「昨日も電話で、ATSUSHIと話をしました。」と語る堂珍。「あの時の気持ちを忘れずに日々、精進していきます。」と手紙を締めくくったATSUSHIと将来、3人で一緒に歌ってみたいという堂珍。川畑も、「それは誰かが用意した機会でなく、自然な形で実現したい。」と語る。それは遠い将来、必ず実現しそうな気がする―というのが、CHEMISTRY2人の意見であった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)