タレントとしても勿論、俳優、アーティストとして現在活躍中の上地雄輔が、逆境を乗り越えるために常に心の中で唱えていた「ある言葉」を自身のブログ「神児遊助」内で明かした。
上地は1999年に、ドラマデビューをした。そんな彼は学生時代横浜高等学校で硬式野球をしており、あの松坂大輔投手の捕手をしていたことでも有名である。高校卒業後は推薦で大学進学の道もあったのだが、同時に芸能界のスカウトも受けていたので現在の道を志すことになった。名門「横浜高等学校」で捕手をするというのは、野球でもかなり努力してきたのであろう。
上地が野球を始めたのは6歳の頃である。その時両親には「6歳でできるわけがない。」と言われたが、幼心に「見てろコノヤロー」という気持ちが芽生えたという。その後、強豪と言われる高校で野球を続けるのだが、その時も周囲からは「本当にあんな名門でできるのか?」と言われていた。その時も「見てろよコノヤロー」という気持ちで挑み、松坂の捕手を務めるなど大活躍をした。
そして高校卒業の時は「本当に芸能界なんかできるのか?」と言われ、俳優として歩き始めたエキストラ時代には、周囲に「お前には無理かもな。」と言われ、その時その時常に「見てろコノヤロー」と言う気持ちを持ち続けたと言う。その後ドラマでも注目され始め、同時にバラエティー番組に出始めた上地。そして「羞恥心」が流行り始めた時、俳優と言う枠を超え作詞作曲をしアーティストデビューをする時、常に飛び交う批判的な周囲の声に「見てろコノヤロー」という気持ちで挑み戦い続けたと言う。そんな「いつか見返してやる」という強い気持ちがあったからこそ、現在の彼があると言っても過言ではないだろう。
なぜそこまで強く一人で立ち向かえるのか?
上地自身、周囲の逆境に立ち向かえるのは周囲の人々のおかげだとも綴っている。まわりの支えがあったからこそ、頑張れてこれたのだ。毎日毎日色んな人間と出会う中、100人中100人全て気が合うというわけではない。そういう人間関係を円滑に進めるためにも、上地は人と付き合う上で「自然に気を配れる人間になりたい。」と言う。そして彼自身、多くの人への感謝を常に忘れないという気持ちを、とても大切にしているようだ。
日々多くの人間と出会うと同時に、多くの感情とも出会う。辛いことも楽しいことも、泣きたくなることも、私たちは避けて通れない。上地は人間関係を通しながら、自分の感情に正直に生きている。その飾り気のない自然体の姿が彼の大きな魅力である。
(TechinsightJapan編集部 うずらの珠子)