エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】演歌の大御所2人が付きっ切り。おニャン子仲間も知らなかった城之内早苗の大失態。

秋元康がプロデュースして一世を風靡したおニャン子クラブから唯一演歌歌手としてデビューしたのが城之内早苗だった。デビュー曲「あじさい橋」はオリコンチャート1位となる大ヒットで人気も上々だったのである。

おニャン子クラブが解散したのは1987年で、城之内早苗が「あじさい橋」を出したのはその1年前だった。おニャン子クラブの演歌歌手という触れ込みで演歌界でも活躍したのである。

9月19日のテレビ「ボクらの時代」では元おニャン子クラブの国生さゆり、新田恵利、そして城之内早苗が出演してトークを繰り広げた。
当時おニャン子クラブの2トップと言われた2人に比べてどうしても地味な存在である城之内だが、ただ1つとんでもない失敗談を披露したのである。

当時、地方で演歌歌手が集うコンサートが行われた時のことだ。島倉千代子や小林幸子も出演する大コンサートである。そのコンサートに城之内も出演することになり関係者から「皆で演歌ヒット曲のメドレーを歌うので覚えておいてください」と伝えられていたのである。
しかし、おニャン子クラブではレコーディングスタジオでその日収録する曲を覚えるパターンが日常だった。城之内はコンサート会場に行って覚えればなんとかなると甘く考えていたのだ。
それを聞いた国生と新田は驚き「うそ~っ、あなた実は一番太っ腹だよね!」と呆れたのである。どうやらおニャン子クラブでもそこまで非常識な行動は珍しいようだ。

予想通りにとんでもないことになり、城之内早苗は歌がまったく分からずに、先輩の演歌歌手が4回も歌ってくれたがやはり覚えられなかったのだ。結局本番では城之内の両サイドに島倉千代子と小林幸子が立って耳元で歌ってくれ、それを聞きながらなんとかメドレーをこなしたのである。『演歌を甘く見ている』などと先輩から怒られただろうと想像されるのだが、現実には親切に接してくれたという。城之内は「演歌のレベルと私のレベルを同じとは考えていなかったみたい。だからすごく優しかった」と話した。

かつてはこのような大失敗もあった城之内早苗だがコンスタントに曲を出しており2006年3月にリリースした「シャボン玉」はデビュー20周年記念シングルとなった。今年9月22日には「鳴き砂 海風」をリリースしている。今では中堅演歌歌手なのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)