「おまんら許さんぜよ!」と聞くと今は坂本龍馬を思い浮かべるかもしれないが、これは二代目スケバン刑事、麻宮サキの決め台詞である。その麻宮サキ役でブレイクしたのが歌手の南野陽子だ。
1985年にシリーズ第2弾の『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主演した南野陽子は当時18歳だった。このスケバン刑事が子どもから大人までにうけて大ブレイクし、以降も彼女は歌手としてヒット曲を連発するのだ。
「楽園のDoor」が1987年にオリコンで1位を獲得するとなんと立て続けに8曲が連続で1位となるほどの人気だったのである。
今もタレント、デザイナーとして活躍する南野陽子が福岡のテレビ「ナイトシャッフル」(FBS)に登場して、アイドル当時の裏話を披露してくれた。
スケバン刑事というと悪の組織相手の格闘シーンが見ものだが戦隊モノではないので、当然南野陽子自身もアクションをすることになる。
ところが彼女は大の運動音痴で「マットの上で前転もできなかった」というのである。しかし、撮影では後ろで爆発する火薬にあわせて、吹き飛ばされながら受身をとるシーンなどもあるのだ。
彼女は「地面の上で、しかも飛び込み前転ですよ」と当時を思い出して呆れていた。何度もNGを出しながらようやくアクションシーンを撮り終えたというが、やればできるものなのか? ほとんど気合で乗り切ったといえるだろう。
そして南野は驚くべき事実を明かした。「先代もダメだったんですよ」と初代スケバン刑事の斉藤由貴も運動音痴だったと言うのだ。けっこう派手なアクションもあったのに2人ともよくこなしたものである。
しかし、例えばこんなトリックも使われたという。スケバン刑事が体を鍛えるために腕立て伏せを何百回も行うシーンでは「私は1回も腕立て伏せなんてできない」という南野の背中をワイヤーで吊って、力を入れなくていい腕立て伏せを完成させたのである。
カラクリを知ってしまうと幻滅だが、もう25年も前の話なので彼女も明かしてくれたようだ。
だが、スケバン刑事だけでなく、歌手としてもアイドル四天王(中山美穂、工藤静香、浅香唯と南野陽子)と言われるほどの人気だったこの頃は想像を絶する多忙ぶりだった。
「10か月間自宅に帰れないこともあった」というのである。毎日、事務所か車の中で寝泊りして、下着は自分で洗濯して部屋の中に干していた。さらには多忙で食欲も無い時はスタジオや現場に看護師さんがついて、点滴を受けながらこなしたというのである。本番が来ると腕から点滴の針を抜いて出演して、また戻ると点滴するという状態だ。
こうしてアイドル時代を乗り越えてきた南野陽子は今も若々しい。今年6月に出した「南野陽子 Beauty Book」(主婦と生活社)では彼女なりの美容法を明かしている。まつ毛をペンで描く方法や、「やせたいなら肉を食べろ!」など独特な解釈が面白い。しかし43歳とは思えぬ魅力を維持する彼女が言う方法なので説得力があるのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)