2001年にメジャーデビューしてから、日本のヒップホップアーティストとして数々の金字塔をうちたててきたRIP SLYME。だがその陰でメンバーのDJ FUMIYAがある病のため、RIP SLYMEは存続の危機に直面していた。「RIP SLYMEから離れたい。」とまで彼が追いつめられたのは、どんな理由だったのか。
DJ FUMIYAだけでなく、RIP SLYMEの他のメンバーもデビュー直後から戸惑いを覚えてた。
デビュー当時は、ファンの前で自分たちの曲を披露できる喜びや楽しさに満ち溢れていた。しかしその後、想像を絶する忙しさが彼らを襲う。毎日が目まぐるしく過ぎてゆき、何が何だか分からない状態になっていった。RIP SLYMEは当時、年間30本のライブを行いデビュー3年間で約50曲を発表。そのほとんどの作曲を、DJ FUMIYAが担当していた。
あまりの忙しさと、曲作りのプレッシャーでDJ FUMIYAは精神的に追いつめられていった。「人に会いたくない。」「曲も作りたくない。」そう思いながらも仕事を続けていたのだが、ついに体の方が壊れてしまった。“自律神経失調症”だった。彼は限界を超えて、頑張りすぎてしまったのだ。
RIP SLYMEからも東京からも離れたいと、彼は沖縄の小浜島でおよそ1年間生活した。島の人はDJ FUMIYAに対して漁の手伝いや、買い物などを頼んできたりして彼を特別扱いしなかった。島の自然の中で、音楽とは関係のない生活を送っているうちに、ゆっくりと病が治っていったという。
「早くRIP SLYMEに帰ってきて、曲を作って欲しい。」というメンバーの願いを、DJ FUMIYAは素直に“うれしい”と感じられるようになった。また自分の曲に、みんなのラップをのせたくなったのだ。こうして2006年12月、DJ FUMIYAはライブに復帰する。
8月19日深夜放送の『NEWS ZERO』(日本テレビ)内でインタビューに答えたRIP SLYME。最後にDJ FUMIYAは、「デビュー当時の“RIP SLYMEに、命を捧げる!”という感覚ではなく、自分たちが楽しいと思える曲を、ある程度力を抜きながら作っていきたい。」と締めくくった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)