歌手の相川七瀬がヒット曲を連発したのはやはり、ミュージシャンの織田哲郎の力によるところが大きい。しかし彼女はその織田哲郎がやったあることだけは許せないというのだ。
相川七瀬(35)は現在、歌手としてだけでなく、カラーセラピストとしてその関連の書籍や絵本も出版するなど多岐にわたる活躍を見せている。
彼女が音楽業界に入ったのは中学3年生で受けたソニー主催のオーディションがきっかけとなる。オーディション自体は惜しくも不合格だったのだが、その際に織田哲郎と面識が出来るのだ。17歳で高校を中退して音楽の道へ進もうと決心した相川は織田哲郎に連絡して上京する。
以降、彼女のトータルプロデューサーとなった織田哲郎の楽曲「夢見る少女じゃいられない」で1995年に歌手デビューして、翌年には同曲で紅白に出場するというスピードで人気も上昇した。
その頃の、まだ業界での経験が浅い相川七瀬が織田哲郎との思い出を「あなたが主役50ボイス」(NHK)で語った。
ある日、織田哲郎が相川七瀬に紙とペンを持ってこさせた。彼女がそれを織田に渡すと彼は何かを書き始めたのだ。彼女が覗き込むと「相川 足が短い」とそこには書かれていたのだ。ムッとした相川は『許せない!』と心の中で憤慨して『一生根に持つ』とまで思ったというのだ。まだ20歳前後で業界経験もほとんどない彼女。突然気にしていることを、しかも落書きで指摘されて耐えられなかったようだ。
そのことを根に持ってかどうかは定かではないが、2000年にはプロデューサーを布袋寅泰に変えており、2003年には遂に織田哲郎から離れて新たに岡野ハジメをプロデュースに迎えているのだ。
しかし、2009年には織田哲郎の楽曲「tAttoo」を新シングルとしており、仲違いしたわけではないようだ。
相川七瀬は今年でデビュー15周年でもあり、音楽性の幅をもたせようとプロデューサーを変えたとも考えられる。ただ、彼女が約15年前に織田哲郎から紙に書かれた「相川 足が短い」を今も忘れぬエピソードとするということは、やはり根に持っているのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)