エンタがビタミン

writer : testjournalist

【エンタがビタミン♪】「現実主義度10%」「妄想度が高すぎる」 一青窈の詞の世界のルーツとは?

4月11日放送のラジオ番組「内田恭子のウチ・ココ~ウチだけ、ココだけの話」にゲスト出演した「一青窈」が、自らの詞の原点について語った。

彼女の詞のルーツが明らかになったのは、番組内のコーナーで出題された心理テストだった。今回は「現実主義度」が知ることができるもので、内田恭子も一青窈も「現実主義度10%」という結果になった時だ。
結果に対して一青窈の場合は
「妄想度が高すぎて涙が出る時がある」
と、自ら妄想が多いことを明らかにした。
しかし、内田恭子は
「クリエィテイブな仕事の場合は妄想も必要なのでは?」
と質問を投げかけ、そこで彼女の詞のルーツが明らかになったのだ。

一青窈は2002年「もらい泣き」でデビューした。その後も多くのヒットを飛ばし、何より彼女の独特な詞の世界観に惹かれているファンも実際多い。

そんな彼女の描く詞のルーツは、小学生の頃にあるという。幼い頃の一青窈は、図書館の詩のコーナーの本を右から左へと読破したいと思うほど、詩集を読み漁っていた。特に好きな詩人として「松本隆」を挙げている。松本隆は松田聖子やKinKi Kidsの曲の詞を書いている作詞家だ。
「曲で聴くと活字で読むとではイメージが違う」
と一青窈はいう。
そんな少女の心を、大人を描いた詩の世界が魅了していった。
その影響から
「詩を書き始めたのは小学生の頃」
と一青窈は語った。
特に小学生の頃の国語の「詩の授業」が好きだった。テストの際、主人公の気持ちを書く問題は用紙の裏まで書いてしまう少女だった。

そんな少女が成長し、今独自のカラーを持った女性アーティストしての地位を確立している。

4月21日に出る新アルバム「花蓮街」でも、一青窈の独特な詞の世界が存在している。花蓮街は実際にある地名で、一青窈は父が台湾人で母が日本人であることから、この街にについても
「日本の文化が懐かしく残る街」
として話していた。
アルバムについては
「人には色んな感情がある。しかし最近自己規制をかけている自分に気付いた。これではいけないと思うようになり、自分は自分であっていいよ。という意味を込めて『花蓮街』というアルバムを作った。」
と、このアルバムについての想いを語った。

一青窈の詞の世界は、彼女の心の中の想像の世界そのものだと言える。しかしその想像は、単なる想像で終わらず、人々の心までも惹きつける世界として生きているのだ。
(TechinsightJapan編集部 うずらの珠子)