エンタがビタミン

writer : testjournalist

【エンタがビタミン♪】「実家が全焼」がきっかけに。元ジュディマリ・TAKUYAがギターを始めたワケ。

元JUDY AND MARYのギタリストTAKUYA が、自らの音楽との出会いについて自身のブログで綴っている。彼が音楽に目覚めた理由は、そしてギタリストとして歩き始めた理由は一体なんだったのだろう。それは彼の”告白(マイナスはプラスに変えてしまおう)”という日記の中にあった。

90年代半ば爆発的な人気があったJUDY AND MARYは多くの若者の心を魅了した。ボーカルのYUKIのカリスマ性溢れるルックスやファッション、声や歌い方は、現在多くの女性アーティストが影響されている。

そんなJUDY AND MARYの楽曲を手掛けていたのがギタリストのTAKUYAだ。『クラシック』『くじら12号』『イロトリドリノセカイ』などヒット曲の背景には彼が存在していた。彼の作る楽曲は、JUDY AND MARYそのものを作り上げていたと言っても過言ではない。

そんな彼はギターに目覚めたのはどのような理由からだろう。学生時代、体育会系の夢があったTAKUYAだが、ある事故でその夢が断たれた。

音楽に目覚めたのは、そんな辛い心境の真っ最中に出会えた「優しい先輩」の影響からだった。当時は80年代で「シンセサイザー」が流行していた為、TAKUYAはギターではなく先輩から借りたキーボードを練習していた。

そんなある日、彼は実家にキーボードのおねだりをしようと電話をした。当時寮生活だったTAKUYAだったが、いくら実家に電話しても通じない。しかし翌朝、寮に「実家が放火で全焼してしまった」という連絡があり、そこで電話が通じなかった理由を知る。
「そんな状況でキーボードなんておねだりできるわけがない」
と愕然としていたところ、寮の風呂場で先輩が
「ギターならお古を1万5千円で、ローンでもいいから売ってあげるよ」
と言ってくれた。
それが彼がギタリストとして歩き出したきっかけだった。

厳しい寮生活でギターは没収されたこともあったが何度も取り返し、色々考えながらギターを守り続けた。監視の厳しい寮では電源がないため、ラジカセすら聴けない。聴けないならとギターマガジンの楽譜を参考にし、ひたすら弾き続けたのだった。当時は「HIGHWAY STAR」などのコピーをしてたが、実際の音源を聴くのは数年後になる。日々時間を見つけては練習し続け、彼は辛い寮生活の中で「ギタリスト」としての夢を抱き続けるのだ。

そして後にその夢は叶い、JUDY AND MARYギタリストとして一世を風靡する。

JUDY AND MARYの曲は多くの若者の心を惹きつけた。
JUDY AND MARYの曲は今聴いても新鮮だ。
TAKUYAの作り出す曲は不思議なことに何年たっても色褪せない。
(TechinsightJapan編集部 うずらの珠子)