エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】難聴乗り越え30周年。コロッケを救ったのは母の強さだった!

モノマネ芸人で知られるコロッケが今年、デビューして30周年となる。もはや大御所芸人となった彼だが子どものころに難聴を患った。そんな彼を支えたのが母の強さだったのだ。1月28日の西日本新聞に彼のおいたちが掲載されている。

コロッケの本名は瀧川広志(ひろし)、
1960年6月13日熊本市に生まれた。
看護助手の母は女手一つで彼と1歳上の姉を育てた。

今思えばその生活は苦しかった。
食事は毎日ご飯におかず1品だけ。
月に一度食べるラーメンがご馳走だった。
だが、当時の彼にはそれが普通だったので貧しいとは感じなかった。

彼は小学校の時に耳に違和感を覚えていたが、
家計のことを思うと母に言い出せ無かったという。

そして、13歳の時だ、
遂に右耳に激痛が走り、耳の奥から膿があふれた。
「真珠腫性中耳炎」
という診断結果だった。
手術して症状は治まったが右耳の聴力は戻らなかった。

そんな彼に
「右耳がだめでも、左耳があるよ。何とかなるよ」
と笑い飛ばしてくれたのが母だった。

彼は幼少の頃から姉とテレビを見るのが楽しみだった。
「サインはV」「柔道一直線」
そして「8時だヨ!全員集合」
などをかじりついて見ていた。
2軒長屋の隣にうるさくないように音量は上げられないのだ。

姉と二人で歌手や俳優の真似をしあった。
やがて、姉弟は中学校でモノマネを披露する楽しさを覚えた。
学校の教室で、そして近所のスナックで人気者になっていったのだ。

右耳のハンディは感じなかった。
左耳に集中して、後は目で観察することで克服したのだ。

そして彼は当時の人気番組
「お笑いスター誕生!!」に挑戦して6週勝ち抜きで銀賞を獲得する。
これからコロッケの芸能人生がスタートしたのである。
1985年には「ものまね王座決定戦」に登場してブレイク。
ものまね四天王の一人となるのだ。

コロッケは30周年を迎える今年、当時を振り返り
「難聴故に集中できたことがモノマネに良かったかも」
と語る。
これも難聴にめげることなく
笑い飛ばして元気づけてくれた母のおかげである。

今年彼は長年の夢だった「博多座」で
1ヶ月間、座長として舞台公演を行う。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)