本日6月9日は「ロックの日」。今一番誰もが思い浮かぶロックン・ローラーといえば、先月亡くなった忌野清志郎(いまわの きよしろう)氏だろう。数々のアーティストが忌野清志郎のロック・スタイルや、バンドR.C.サクセションの音楽に魅せられ、影響されているのは有名だが、シンガーソングライターの山崎まさよしが、その一人である事はあまり知られていない。
1970年代後半、彗星のように世間から注目され始めた忌野清志郎。フォークシンガーに見慣れていた当時の日本で彼の登場は衝撃的だった。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーの影響で化粧をし、独特のヘアスタイルとパンク・ファッションに身を包んだ奇抜な清志郎は見るものを驚かせ、奏でる音楽はパンク、グラム・ロック系と過激。しかし「雨上がりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」など、どことなく可愛らしい歌詞が乗っかっていた。
70年代に盛んだった学生運動が一段落し、今度は暴走族や校内暴力などの問題が学校に影を落とし始めた時代に、「僕の好きな先生」(1972年発表)が蒸し返され、記者世代の当時の若者に広く聞かれたことは快挙である。麻薬やフリーセックスと直接結びつくイメージのロックは忌野清志郎の登場が無ければ、今でも日本ではアンダーグラウンドな見られ方をしたであろう。
また忌野は、「原発」「君が代」「北朝鮮」など“世間的にタブー”とされる事柄にあえて突っ込み、政治的な馴れ合いや、日本の矛盾に抵抗する姿勢をたびたび見せた。人間が生きて行く為の“しがらみ”を断ち切るような行動、自由意志。これぞロックの真髄なのであるが、それに対し不良スタイルだけを真似た若い世代のロックに幻滅し、「ロックは子供のオモチャじゃねえ。」と歌詞で一蹴する態度を見せていた。
それにしても度々問題を起こし、大迷惑をかけられたはずのFM局やTV局が懲りずに忌野清志郎を登場させ続けたという事は忌野には常人にはありえない「人を引き付ける魅力」があったからに他ならない。
1970年代生まれのアーティストで忌野清志郎に影響されたアーティストは多い。あまり知られていないがシンガーソングライター山崎まさよしもその一人。アコースティックギターをもち、一見フォークっぽい山崎の作り出す音楽と、ロック魂全開の忌野の音楽はぜんぜんタイプが違うように思えるのだが、両氏の作品を並べ聞いていくうちに陽気なメロディーややさしい歌詞、情熱的なハーモニカなどたくさんの共通項を感じ取る事が出来る。
山崎はNHKの音楽番組「SONGS」で忌野への思いを振り返った。現在山崎まさよしがツアーで精力的に歌っている「春も嵐も」という曲は、忌野の生き方にインスパイアされて作ったものだという。忌野の生前に二人は共演も果たしている。忌野が「ロックは子供のオモチャじゃねえ。」と蹴り飛ばしていた世代にも、山崎まさよしのような確実に大きな実をつけたアーティストの木も育っていたようだ。
独特な奇抜な風貌と共に万人に愛された忌野清志郎。その音楽の根底に流れるのは、あたたかい人間味と、人と触れ合う幸福感。現代人はついそれを忘れがちだ。これからも時々忌野清志郎の曲を聞いて、思い出したい。遺された彼の曲の全ては、まさに日本のロック界においての「宝物」である。
(TechinsightJapan編集部 クリスタルたまき)