歌手のマイケル・ジャクソンが他界してもう4年が過ぎた。その死の責任はロンドン・カムバック公演の企画会社「AEG Live(以下AEG)」にあるとし、マイケルの母親キャサリン・ジャクソンさんと彼の遺児3名が40ビリオン・ドルの損害賠償を求めたいとする裁判がいよいよ始まったが、<その2>ではプリンス君がマイケルの最期を看取った医師の態度について証言しているので、そちらをご紹介したい。
2009年6月25日に起きたマイケル・ジャクソンの突然の死について、その責任の所在を明らかにしようとする裁判がロサンゼルスで行われているが、法廷では遺児のうち長男プリンス君が証言台に立ち、記憶の限りを話そうと頑張っている。プリンス君の「父はAEGに殺されると恐れていた」という証言が波紋を広げていることを<その1>でお伝えしたが、<その2>では死亡当時の自宅の様子、そしてマイケルの死が長女パリスちゃん(当時11歳)に与えたショックの大きさについての証言を紹介したい。
「父が亡くなった時、僕たちも自宅にいました。居間にいたらコンラッド・マーレイ(マイケルの元専属医)の“皆、ちょっと来て!”というすごい叫び声がしたためにその部屋に行ってみると、父の体はベッドから半分落ちかかっていて、マーレイは父にCPR(心肺蘇生法)を施していました。」
「その後、マーレイは僕たちにとてもあっけない口調で言いました。“ごめん、パパ死んじゃったよ”と。僕ときょうだいはただ泣くばかりでした。」
「マーレイが心肺蘇生法をしている横で、パリスは“死んじゃいや、ダディがいなきゃいや”とずっと泣き叫んでいました。父は妹をプリンセスだといって本当に可愛がっていたので、きょうだいの中で妹が一番父の死にうちのめされたと思います。」
パリスちゃんが自殺未遂を起こした理由のひとつに、最愛の父マイケルの死による悲しみを乗り越えられていないことを挙げる人々も多く、「今現在も妹はその悲しみと必死に闘っています」と話すプリンス君の言葉に、公平で冷静でなければならない陪審員の目頭も思わず熱くなったに違いない。
医療現場での管理も厳重な強い麻酔薬プロポフォールを投与したことによるマイケルの急性中毒死を、なるべくしてなった、いつかは起こると予想したと言う者はいない。音楽界から才能あふれる“キング・オブ・ポップ”ことマイケル・ジャクソンを奪い、母のいないこの家族から心優しい父マイケルを奪ってしまった罪はあまりにも重い。
(TechinsightJapan編集部 Joy横手)