「ゴースト/ニューヨークの幻」の日本リメイク版が公開中であるが、肉体を失ってあの世に行ったはずの人が、実は現世で自分を守ったり励ましてくれるという映画は、1980年代末にもあった。大林宣彦監督「異人たちとの夏」である。
神も仏も先祖も幽霊も一切信じない人というのは、実はそれほど多くないし、そこまで徹底した無神論者をやるには、並々ならぬ精神力がいる。
まして、あの世へ行った自分の両親であれば、別世界にいるという実感はなかなかわかず、実は今でもどこかで普通に暮らしているような気持ちになることだろう。
そこで、この映画は主人公が子どもの頃に亡くなった両親が、実は故郷の浅草に二人で暮らしていて、大人になった自分をさも当然のように「うちへ来いよ」と迎えてくれる物語である。
この感覚は、実際に親を亡くしたばかりの人が普通に持つもので、今は無人となってしまった実家に訪ねていこうとしたり、電話をしようとしたりして、ハッとして親がこの世にいないことに気づくというものだ。
しかし、この世にいないからといって、「存在」までもが消えてしまったわけではない。人生で何か危機的な状況に直面したときに、まず助けを求めるのは親という「存在」である。その限りにおいて、親はこの世にいようがいまいが存在しているのである。
「異人たちとの夏」で、テレビのシナリオライターをやっている主人公の役を演ずるのは、風間杜夫。そして故郷の浅草で暮らしている両親を演ずるのは片岡鶴太郎と秋吉久美子だ。
片岡鶴太郎の、いかにも浅草の江戸っ子そのもののようなべらんめえ調の台詞回しが実に堂に入っていて気持ちがよい。本当に東京の下町にいそうなオヤジさんそのものである。
索漠とした生活を送っている主人公が、たまたま訪れた故郷は浅草の仲見世で、父親にばったり出会い、さも当然のように「よぉ!ウチへ来るか」と言って、迎え入れてくれる。
半信半疑な主人公も、次第にそのあまりの居心地の良さに心が弾んで、足繁く通うようになる。
そこから、人情話とホラー話が同時進行するのだが、途中、大林監督の得意な「有名人のチョイ出し」があったり、劇中のテレビで流れている映画が1951年の松竹映画「カルメン故郷に帰る」だったりするなど、遊びゴコロにもあふれていて、映画マニア的にも楽しめる作品となっている。
その後のストーリー展開は見てのお楽しみであるが、いわゆる「泣ける映画」のジャンルに入れてもよいのではないだろうか。
近年の日本映画の得意ジャンルのひとつが、ホラー映画である。次々出されるホラー映画は、確かに怖いのだが、あまり余韻が残らないのが難点である。
ありきたりのホラー映画に飽きた人は、ぜひこの温もりのあるご先祖ホラーを見てみるのもよいと思われる。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)