(ジャンル:ジャズ/クラシック)
時は1950年代。バッハ作品は厳粛かつ神聖に演奏されるのが常であった。
その気高く深遠な音楽からは大きな感動を受けるが、人によっては「音楽に説教されている」ような気分になる場合もあったようである。
そんな時代に、20代の才気あふれる二人のピアニストが、愉悦とスリルのあるバッハ演奏で世界に衝撃を与えた。その二人のピアニストとはジャック・ルーシェとグレン・グールドである。
ジャック・ルーシェは、1934年フランス生まれのジャズ・ピアニストであるが、バッハ作品をピアノ・トリオで演奏し、一躍名をはせた。
VOL1~VOL4まである「プレイ・バッハ」シリーズは、いずれもフランス・ジャズのエレガントなスタイルで、バッハの世界を描いてみせた名盤である。
一方、グレン・グールドは1932年カナダ生まれのクラシック・ピアニストであるが、1955年に発表したデビュー作「ゴルトベルク変奏曲」は、当時のバッハ演奏の標準とは全く異なる、スリリングな演奏で大きな話題になった。
なぜ、この二人の演奏が話題になったのかと言えば、バッハ演奏においては「精神性」というものが重視されていたからである。広い意味での宗教性だと考えて良いだろう。
その「精神性」に対する、この二人の表現は「楽しさ」「スリル」「肉体性」といったものであるため、大きな衝撃を与えたのである。
二人とも、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を録音しているので、聴き比べてみるととても面白い。
ある意味、解体的とも言える演奏であるが、バッハへのリスペクトを忘れておらず、とかく謹厳になりがちなバッハ演奏に新風を吹き込んでくれる。
しかも、この作品はどのように演奏しようと、ピアニストにとって非常に難易度の高い作品である。
いわゆる「伴奏とメロディ」という形ではなく、一人で二声部または三声部の旋律を同時進行させるポリフォニースタイルの作品であるため、正確な演奏は至難を極める。
それでなお、愉悦とスリルを感じさせながら、作品の新たな魅力を浮き彫りにする傑作アルバムである。
ジャック・ルーシェは、ジャンル分けすればジャズであるが、バッハ音楽への熱心な取り組みにより、一般的なジャズファンよりも、クラシックファンに愛されているピアニストだ。
なお、ジャズミュージシャンの中では、他にジョン・ルイスやベーシストのロン・カーターが、バッハのジャズ化に取り組んでいるが、生粋のジャズファンからはあまり評判が良くないのは残念なことである。
クラシック界では、「ゴルトベルク変奏曲」を弦楽三重奏に編曲したりなど、他の楽器への編曲が好んで行われる一方で、従来からの伝統的なピアノ演奏、モダンチェンバロや18世紀チェンバロでの演奏など、さまざまな展開が見られる。
また、ジャズとクラシックの両方で活動するキース・ジャレットは、同じく「ゴルトベルク変奏曲」のチェンバロによる伝統的なスタイルでの演奏を行っており、興味のある向きはこちらも一聴に値するだろう。
バッハ演奏の多様性は、50年前も今も演奏者と聴き手を刺激し続ける。
なお、グレン・グールドは「ゴルトベルク変奏曲」を生涯に2回録音しているが、新録旧録の聴き比べをするのも非常に興味深い。
最終的には好みの問題になるが、音が良い新録(1981年録音)のほうを推奨しておきたい。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)