80年代末から90年代初頭のいわゆるバブル景気については、近年になってようやく歴史的な位置づけや大衆風俗史としての研究がなされるようになってきているが、果たして映画の世界ではどうであったかを考えてみる。
今回、俎上に載せていただく映画作品は、2007年公開のホイチョイ・プロダクションズ原作による「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」と、実際のバブル時代に公開された伊丹十三監督「ミンボーの女」である。
阿部寛、広末涼子、薬師丸ひろ子などの気鋭の俳優を起用した「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」は、タイムマシンに乗って1990年にタイムスリップして、バブル経済にとどめを刺したと言われる、旧大蔵省の総量規制を止めさせて、バブル崩壊を防ごうとするストーリーである。
タイムマシンものにつきまとう「タイムパラドックス問題」については、ほとんど考えていないところが緩いのだが、その代わり、バブル時代の浮かれ騒ぎが回顧的に描写されていて、今や都市伝説に近くなっているバブルの狂騒をよく描いている。
登場人物の17年前と今を、うまくCGやメイクで処理して違和感なく仕上げているのも効果的だ。
実際にバブルの恩恵にあずかったのは、ごく一部の人々だけなのだが、タクシーを捕まえるのに、札束をちらつかせたり、ディスコで大騒ぎしているシーンは、当時を知っている人が見れば、「恥ずかし可笑しい」といった心境であろう。
一方で、バブルまっただ中の日本映画の世界では世相をどのように表現していたかと言えば、実は当時、映画といえばハリウッドものばかりが有り難がられて、日本映画は沈滞の真っ只中であった。
そんな中、一人、気を吐いていた映画監督が、伊丹十三であった。「マルサの女」「スーパーの女」「ミンボーの女」など、次々と当時の世相と社会問題を描いていった。
特に「ミンボーの女」は、公開直前にいわゆる暴対法が施行され、公開直後に監督が暴力団の暴行を受けるなど、大きな事件となったことでも知られている。
いかにもバブル時代に製作されただけのことはあって、この映画には大きな特色がある。
それは、女性が「男社会」をバッタバッタとぶった切っていく映画スタイルの嚆矢であるということだ。
女弁護士が、法律を元に、暴力団の脅しに一歩も屈せず撃退していく姿は痛快であり、女性の時代とも言われたバブルに相応しいシチュエーションと言えるだろう。
また、映画の主要な部分ではないが、酒宴のシーンもリアルタイムバブルに相応しく、高価なシャンパンをがぶ飲みし、クラブの女性に破廉恥な行為をするなど、生々しさはダントツである。
バブル時代は女性が元気だった時代だが、バブルが終わっても、男女雇用機会均等とセクハラ対策の浸透、その後の男女共同参画など、女性が社会で活躍できる「場と機会」は広がった。
一方で、そうした風潮から逃避して、家庭に入りたがる女性もまた増えて、現在の婚活ブームにまで続いていく。
もし、これからバブルを描く映画を作るとしたら、この「女性の社会における位置づけの変遷」といったものをテーマにすると面白いのではないだろうか。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)