こんにちは 占い鑑定士の飛鳥 銘です。
結婚情報産業のバブルをもたらした、白河桃子さんの「婚活時代」ですが、別の見方をすれば、「男を釣るエサ」が何もなくなった時代という意味でもあります。
そこで、今回は、下品な言い回しで恐縮ですが「男を釣るエサ」の変遷について考えてみようと思います。
伝統的に、女性が男性に与えるモノとしては、「純愛」「貞潔」「性の相手」「子どもを産み育てること」「家事処理能力」などが美徳でした。
これらを男性に捧げることを条件に、「妻の座」を勝ち取るというのが、女性の生き方でした。
これらの生き方が怪しくなってきたのがバブル以降です。女性の生き方は「妻の座」を勝ち取ることだけなんてもう古いということになったわけです。
ただ、それも一時的なことで、女性が社会で働いても、別に特段幸福なわけでもないことが明らかになり、古い価値観に戻ろうとしているのが実態です。
一方男性は、女性がこれまで男性に与えてきた「エサ」に対しては、次のような姿勢で臨んだわけです。
「純愛」・・重い関係はお断り
「貞潔」・・ありえない
「性の相手」・・ネットを巡回していれば必要ない
「子ども」・・別に欲しくない
「家事」・・家電製品があれば自分でできる
かくして、結婚はお互いの人格を尊重できて一緒に暮らしていきたいと思える相手でなければ意味がなくなりました。これは結婚の本質から考えて当然のことです。
昔は、男性にとって結婚すれば「純愛」と「性の相手」と「家事要員」が一度に手に入って幸せになれたのです。
今は、かつてのエサが一切使えなくなって、異性の前に自分のナマの人格をさらさなければならないという、厳しい状況をビジネスにしてしまったのが「婚活」だと言えます。
婚活バブルがはじけたあと、どうなるかを私なりに予想すると、「友だち同士で結婚」という時代が来ると思われます。
つまり、出会い―恋愛―結婚という流れの中で年収とか容姿とかを吟味し合う「条件闘争」としての婚活ではなく、広く男女の友だちがあって、その中で「特別の友だち」と、一緒に暮らしていきたいというスタイルです。
もちろん友だち同士が一緒に暮らすわけですから、どんな役割分担があっても良いわけです。夫が仕事で妻は家事でもよいですし、仕事と家事育児を二人で分担でも良いわけです。
男女関係に限りませんが、「歴史は進歩しなければならない」というのは、旧世代が信仰してきた一種の宗教です。
普通の男女は、自分が一番居心地の良いライフスタイルを選び取ればよいのであって、それが進歩であろうと、後退であろうと気にしないだけのインテリジェンスが求められるでしょう。
どうぞ皆さま、ステキな週末をお過ごしください。
(TechinsightJapan編集部 飛鳥 銘)