writer : techinsight

【3分でわかる】あしたのジョー 映画化考察

 日本人ならば誰もが知る名作漫画「あしたのジョー」。40年ぶりの実写映画化にあたり、気になることがいくつかある。

 まずはキャスト。主人公「矢吹丈」を山下智久が演じることについて、ネット上では往々にして非難の嵐である。なぜかジャニーズ事務所を毛嫌いする方々と、原作を愛しすぎて誰であろうと許せない方々の意見を差し引いても、まだ反対派が多いように思う。

 アニメの断片などを見る限りでは、とかくジョーはストイックなイメージだが、本来の彼はなかなかやんちゃである。物語序盤のドヤ街での悪行三昧に始まり、段平にライセンスを取らせるためにプロボクサーを楽屋でのしたり、出稽古先でスパーリング相手を蹴ったりと、少年漫画の主人公らしい無茶苦茶さを持っているのだ。わがままで子供っぽく、生意気。すぐ頭に血が上り、それでいて自信過剰な姿には三下風情すら漂っている。

 しかしジョーは「力石徹」との戦い以降、まったく別の表情を見せ始める。こちらの方が比較的、多くの人が知る山下に近いのではないか。あの気が狂わんばかりの妄執を演技でかもし出すことができれば、8割がた成功と言えるだろう。

 ジョーについで鍵を握るのは、もちろん力石である。キャストはいまだ発表されていないが、原作での力石は『野性的ムードも強烈な魅力も矢吹に負けずに持っており』『チャンピオンのうつわそのもの』なのだ。作品とはまた別に力石個人の熱狂的なファンも多いため、人選はおろそかにできない。力石戦後に登場する「カーロス・リベラ」や「ホセ・メンドーサ」といった外国人をどうするかも重要だ。

 そして、“ドヤ街”という舞台。今の若者どころか私ですらぴんと来ない単語である。山下目当てにやって来た若年層の女性らに、ドヤ街の説明をどうつけるのだろうか。実写化にあたり設定を変更するなど日常茶飯事ではあるが、この作品においてドヤ街を別のものに置き換えてしまうことは作品そのものを捻じ曲げてしまうことに繋がりかねない。

 それにドヤ街は世相的にもぜひ使いたいポイントでもある。現代風に言えば“負け組”が集う街。人生の敗者が涙する泪橋のそばで、ジョーは住民の希望の星となり輝くわけだ。100年に一度の不況が2年越しで続く今の時代にこそ、共感を集めることができそうだ。したがって、ドヤ街の描写はどうあっても外せない。

 未成年の飲酒や喫煙すら禁じられている現在のフィクションの現場で、原作に忠実な描写はほぼ期待できないであろう。物語序盤でジョーは15歳と自称しているが、映画では20歳以上に引き上げられることは十分に考えられる。しかしそうなると後々不具合も出てくるわけだが、そのあたりのすり合わせはファンはどうしても気になってしまうものだ。

 漫画から少し離れるが、テーマソングはどうなるのだろうか。ジャニーズ事務所のタレントが主演のドラマは所属するグループが歌うものをぶつけてくるのが通例である。それは一向に構わないが、あしたのジョーは誰もが知るあの名曲、アニメ版オープニングテーマが存在する。よほどうまくやらない限り、歌だけで叩かれる可能性すらあるのだ。

 漫画の実写化があふれ返り、“原作レイプ”なる言葉までが一般的になりつつある。ドラマの脚本家が愚痴をこぼしたブログも話題となった。あしたのジョー映画化に関わる諸兄姉、この作品の素晴らしさを十二分に理解した上で、どうか期待に応えていただきたい。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)