漫画「漂流教室」はその圧倒的なオリジナリティで日本の漫画史に名を刻んだ。現在、漫画アクションで連載中の「漂流ネットカフェ」は後に続けるか。
主人公「土岐耕一」は29歳のサラリーマン。仕事はそこそこ、妻は出産をひかえており、平凡ながらも幸せな暮らしを送っていた。それでも時折胸をよぎるのは、中学時代の初恋の女性「遠野果穂」。勇気を出して告白すれば違った人生が待っていたのでは、あのころが人生のピークだったのでは、そんな思いに囚われていた。
マタニティブルーのゆきえはなにかと土岐につっかかる。我慢できなくなった土岐はつい強く言い返してしまい、けんかになってしまった。翌朝、仲直りのためにきちんと話し合うことを約束し、家を出る土岐。しかし仕事終わりにふと考える。家に帰りたくない、と。
そんな思いから何気なく立ち寄ったネットカフェ。するとそこには思い出以上に魅力的に時を重ねた遠野の姿があった。思いがけない再開に会話ははずみ、土岐の思いは募っていく。家に、現実に戻りたくない――。
突如ネットカフェに異変が起こった。店中に異様な電子音が響き渡り、停電。ほどなく復旧したものの、外はバケツをひっくり返したような豪雨となっている。やむを得ず土岐と遠野はネットカフェで一夜を明かすことにした。
早朝、蒸し暑さで目が覚めた土岐らは外の景色に愕然。そこには昨日まで確かに存在した街並みが消え、湿地帯が延々と広がっていたのだ。自分たちに起こったことを理解できぬまま、悪夢のような漂流生活が始まった。
漂流教室をご存知ならば小学校がネットカフェに置き換わっただけと捉えるかもしれない。しかしその“だけ”が実に大きな変化をもたらしている。
ネットカフェには年齢、性別、職業の違う、まったく見知りもしない人々が集まる。漂流教室では大前提として存在していた絆が皆無であり、これにより狂気の方向性がまったく別ものになるのだ。
漂流したネットカフェを支配するのは暴力とセックス。非現実的な体験でたがの外れた男たちが女性を蹂躙する描写があるのだが、これが非常に胸糞が悪い。恐怖よりも先に嫌悪感がくる、反吐が出そうな場面である。未知の生物も登場はするが、コミックス2巻現在ではそれほど大きな脅威とはなっていない。人間の欲望だけが当面の敵である。
それなのになぜか、リアリティがない。ディテールは漂流教室の方がよほどファンタジックであるはずだが、紙面から伝わる恐ろしさは確実に現実のものであった。それがこの作品に見つけられないのは物語がまだ序盤だからであろうか。
紋切り型のヒロインに魅力を感じないのは私が同性だという理由が大きいと思う。美しく、やさしく、主人公の都合のいい時にだけ主人公を頼り、どこかエロさを感じさせるのは、どんな男性にとっても理想に近いだろうから。主人公のヘタレヒロイズムも男性受けはしそうだ。
SFでもなく、ホラーでもなく、サスペンスでもなく、ファンタジーでもない。漂流ネットカフェはいまのところなんでもない作品である。これから先の展開によって化けることを期待したい。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)