漫画雑誌月刊Gファンタジー(スクウェア・エニックス)で連載中の「黒執事」。10月からはアニメ放送もスタートし、乗りに乗っている作品だ。19世紀の英国をモチーフに、悪魔でありながら人間に仕える執事「セバスチャン」とその主人「シエル・ファントムハイヴ」が織り成すロー・ファンタジー。一言で言い表すとすれば、“不安定”がしっくりとくる作品だ。
不安定、というのはけっして悪い意味ではない。足元の砂を波にさらわれるような心地よい不安定感、とでもいえば伝わるだろうか。
ファンタジーはもちろん、バトル漫画やスポーツ漫画など“戦い”に主力を注いでいる漫画では、日常と非日常を、はっきりとメリハリをつけて読ませる手段が常套だ。日常は戦いの小休止として、また、登場人物たちに深みを持たせるアクセントとして用いられる。あくまで主は非日常なのだ。
しかし黒執事は一筋縄ではいかない。日常と非日常はけっして切り離せるものではない、とでもいいげに、穏やかな日々の中に存在する黒いしみが濃くなったり、薄くなったりする。本格的な戦いに突入したかと思いきや、あっさりと料理対決に切り替わったりもする。物語全体が非常にあやういバランスで構築されており、それが不思議と読む者を惹きつけるのだ。
作画にも不安定な面が見られる。シエルは少年独特の切なさが湛えられた内面を如実に紙面に写し取ったかのごとくこれ以上ないほど美しく描かれているのに、主人公のセバスチャンはどうにも安定しない。これはセバスチャンが悪魔であることを隠して人間世界に溶け込んでいるという多面性の表れと捉えるのは過大評価であろうか。
確かに作者である枢やな氏はべらぼうに画が上手いタイプの漫画家ではない。しかし、見せ方というものをよく知っている。特筆すべきはアクションシーンだ。人物よりも空間を広く取るようなコマが多く、そこには静の動、とでもいうべき趣がある。少年向けのバトル漫画とはまったく違う切り口で表現するアクションシーンは、画が動くことのない漫画というメディアの限界に挑むのではなく、最大限に生かしたものとなっている。
10月のアニメ化においてはああいったシーンがどう動くのかを楽しみにしていたのだが、やや平凡で拍子抜けしてしまった。アニメは原作と比べるとアクションシーンの差異のみならず、けっして少なくはない変更が加えられている。さまざまな面で派手に、わかりやすくなっており、エンターテインメントとしての純度を高めた仕上がりとなっているのだが、原作の不安定感を好んできた読者からすれば、すっかり別物というイメージだ。
逆を言えば、黒執事は原作とアニメとで2倍楽しめる作品だということ。長い正月休みはコタツとミカンと黒執事、というのもオツなものだ。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)